世論は責任を取れない(?)


こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。


年号が平成から令和に代わって少し経ちます。僕のパソコンもようやく「令和」を一発で変換できるようになり、時代の流れに追いつきつつあります。


年号が「令和」に変わる前後くらいで目にしたニュース。

女性天皇に賛成か反対かという話題。


世論調査ではかなり多くの割合の人が賛成と回答したと新聞は伝えていた。


ここで少し感じたこと。

このニュースだけでなく、他のシーンでも感じることの言語化を今日はしてみようと思います。


僕は女性天皇に賛成か反対かの世論調査について伝える新聞記事を見て、自分ならどちらと回答するか考えてみた。


しばらく考えてみて、どちらとも回答できないと思った。


それは、天皇制や皇室の歴史などについて知識が無さすぎるからだ。


シンプルな男女平等といった流れなどでは語れないほどの歴史の積み重ねがこのニュースの背景にはあるような気はなんとなく感じていて、そうなると僕はあまりに勉強不足な気がした。


世論とはなんだろ。

世論と言われてしまうと、みんなの意見がそうであるように感じてしまう不思議。


でも、大事なのはそのみんなの意見はどんな顔をしてるのかだと思う。

そのみんなの意見はどれくらい真剣な顔をしているのか。


世論という名のみんなの意見は、言い換えれば、僕の顔じゃなくてもいい言葉なのかもしれない。

僕以外の誰かも同じように「YES」と言っているのだから。

または僕以外の誰かも同じように「NO」と言っているのだから。


世論として「YES」と答えた人に、その理由を自分の言葉で表現してみて、ともう一歩調査するとどうなるのか。

世論として「NO」と答えた人に、その理由を自分の言葉で表現してみて、ともう一歩調査するとどうなるのか。


「YES」も「NO」もそんな簡単に答えが出るものなのか。

その中間に大事なことがある可能性だってあるのではないか。


世論という名のみんなの顔をした言葉のみんなはどこにるのか。

その言葉でアクセルを踏んで、何か問題に直面したときにそのみんなは責任を取れるのか。

そうなった瞬間みんなは急に顔色を変えるんじゃないか。


大事なのは世論ではなく、

真剣な顔で悩んで「YES」とも「NO」とも言えていない人の言葉かもしれない。


世論がこうだからGO。

世論がこうだからSTAY。


それを超える顔の見える言葉どうしの丁寧で時間のかかるプロセスを大切にしたい。

日々正常に悩みながら賢くなっていければいいなと思う。


悩んでる人が好きです。


山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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