こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。
昨日「キウイの作り手になるために修行を始めた話」というブログを書きましたが、今日はそれに少し関連する話題について書こうと思います。
タイトルは「自分の手で出来ることを増やす」
今日は感情的な文章なので、内容が必ずしも何かのファクトに基づいていないかもしれないし、違った意見もあるだろうとは思いますが、了承して付き合てもらえたらいいなと思います。
僕は、就職活動を目前にしたときに、自分のスキルの無さについて考えたことがありました。
それまでの20年間くらい、ほとんどの時間を学校で過ごしていて、学校で学ぶのは国語や英語や数学や社会。
テストでいい点を取れるようになれば賢くなったとなんとなく感じ、偏差値の高い大学に行ければ行けるほどなんとなく良さげだった。
昨日ブログで書いたようにおばあちゃんが農業をしているものの、高齢になってきてそれで収入を得て生活をしているというよりは、自給出来る部分を自給しているといった感じで、高校生の僕が進路を決める時には長男として継がなければならない家業があったわけではない。
大学に進学する以外の選択肢はほとんど見えていなくて、大学に行った後の行く先もぼんやりと海外で働きたいと思っていたくらい。
高収入だと聞いていた商社マンになりたいと薄っすら思っていた。
でも、大学の途中でどうやら僕はバリバリ戦うバトルタイプでは無いと気づく。
そんなにお金とか名誉とかが無くても自分なりに幸せを定義して、自分がいいと思える生き方をしてみる方がおもしろそうだと気づいた。
暗い未来が待っていると思っていた地元にも明るい未来を作れそうかもと発想を転換し始めたのもそのころで、同時に明るい未来が待っていると思っていた都会にも地元から10年や20年遅れて地元が今リアルタイムで抱えている課題が降りかかってくることも少し想像できるようになった。
そんなことを考えていると、大学3年の夏が近づき、周囲は就職活動の準備をし始めた。
僕もひとまず準備を始めた。
世の中にはいろんな会社があることを知った。
中学校の時に唯一知っている大きな会社だったソニー。中学生の僕はソニーに就職したいと思っていたけど、当時の自分はまさか自分がソニーも選択肢に持てるように成長しているとは思っていなかったと思う。
小学校のころから僕は算数が苦手だった。中学校に上がってその名前が数学になっても得意にはならなかった。
反対に英語や社会は得意で、好きで。
僕は大学進学でも迷いなく文系を選んでいた。興味のある社会のことが勉強できる経済学部を選んだ。
経済学部で学べることはたくさんあったけど、それ以上に学校外で自分の興味に従って足を動かしてみることが面白くて、発展途上国で働いたり、地元のカッコいい大人に出会ったり。
そうしている間にやってきた就職活動。
文系の僕には自分の手で何か出来ることが無いような気になった。
もちろん、社会の仕組について知識を蓄え、世の中の課題解決のために政策を作れることは素敵なことだ。
その一方で、人間本来の生きていくチカラが僕にはあるのだろうかとふと疑問に思った。
もちろん便利な世の中で狩猟や栽培の技術は生きていくチカラとして必ずしも求められるわけではないし、むしろ、課題解決のチカラは就職活動で求められている今を生き抜く、明日を生きるチカラだ。
でも、中学2年生の冬にテレビで観た震災。淡路島で被災し、枕元にブラウン管が飛んできたというお父さんに聞かされた震災の話。
いくら高度に発展し、便利になり、より良い社会の仕組みを考えても、自然の前では人は裸同様なのかもしれない。
そんな裸の状態でも、生きるために知恵を絞れる、ショックをかわすしなやかさ。そんな生きるチカラを持つ大人を地元で目にしたし、おばあちゃんもそんな存在だった。身近なことは自分の手でやってみることで豊かな暮らしをしている実践者を本で見て衝撃を受けたこともあった。
同じような考えで共感できる大学の友人と、家の床貼りを学びに徳島に出かけたのもちょうど1年前くらいか。
今回キウイの交配、栽培をおばあちゃんに学ぼうと思った考え方の奥底にはこんな風な思考の水たまりがある。
でも、こんな風な生き方が世の中のスタンダードなわけではなかったりもする。
だからこそ、共感し合えて出かけられる僕の周囲にいてくれる人にはすごく感謝だし、自分間違ってないはずって思える。
しなやかに、楽しく、裸になっても怖くないように。
自分の手で出来ることを増やす。
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