僕のおばあちゃんはスマホを持っていません。スマホどころかガラケーすら持っていません。ガラケーどころかポケベルすら持っていません。
(ポケベルって今もってても使えないのかな。僕にとっては伝説上の存在、ポケベル)
おばあちゃんは家の固定電話だけ持っています。
僕らが家族を持つようになったら固定電話って買うのかな。最近は連絡網というシステムすら消えているらしいし、近い将来固定電話という道具すら伝説上の存在になってしまうのかもしれない。
おばあちゃんと待ち合わせをするためには、前日おばあちゃんの家に行って、「明日10時に梨山行くから」と言いに行かないといけない。
待ち合わせに20分遅れそうな日にはどうしようもない。気づいたときにはおばあちゃんはもう家を出ていて、おばあちゃんが家を出てしまうともうおばあちゃんと繋がる手段は目の前に行く以外無いのだ。笑
おばあちゃんはスマホどころか腕時計すら多分していない。
アップルウォッチなんてもってのほかだ。
おばあちゃんはどうやって時間を確認しているのだろう。
もしかすると、時間を気にするという感情そのものがないのかもしれない。
梨農家だったおばあちゃんにとっては時間はそんなに重要な概念ではなかったのかもしれないし、重要な概念ではあるけどそれは太陽や気温、汽車の通過など周囲のものが教えてくれるのかもしれない。
いずれにしても、電話と同様、おばあちゃんは家の壁掛け時計を最後に家から出ると僕が持っているような時間という感覚からは解き放たれているようである。
こうしてみてみると、僕とおばあちゃんではあまりにも生きている世界観が違うように思える。
おばあちゃんはどうやって恋愛をしてきたのだろう。どうやって待ち合わせをしてきたのだろう。
僕より57年ほど早くこの世の中に生まれたおばあちゃんには世界がどう見えているのだろう。
そんな世界観の違うように思える人と、それでも同じ世界を今現在生きていることがすごくおもしろいなと思う。こうやっておばあちゃんの世界観を理解しようとすることでタイムスリップ出来る奇跡的な時代を生きているのかもしれない。
それだけ世界がすごいスピードで変化しているということでもあるのか。
絶対王政の時代は何百年も続いたというから、その時代に生きていればこのタイムスリップは出来なかったんだろう。おばあちゃんの世界観に思いを馳せても、おばあちゃんの時代との間に大きな差はなかったんだろうから。
どんどん進む世界の中でたまにはおばあちゃんを観察してタイムスリップしたい。
最後に一句。
「ケータイを持たない ばあちゃん タイムマシン」
今日はここまで。
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