こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。
今日もエッセイみたいなブログになると思います。
今週はエッセイが多めでした。来週と再来週は多忙を極めそうでブログまで手が回るか怪しいですが、ひとまず今日のブログを書きます。
タイトルは「煽られ世代」
世の中では、世代を一つにカテゴライズして名前をつけることがよくありますね。
ゆとり世代、失われた世代(ロスジェネ)、悟り世代、ミレ二アル世代、などなど。
(順不同)
最近、僕の世代、もしくは、僕の何歳か下の世代は「煽られ世代」だなと感じることがあります。
煽られ世代って僕が勝手に名前を付けてているだけで、センスがいいネーミングかどうかは分かりません。笑
僕が「煽られ世代」と感じた瞬間は、教育改革的な話が出てきたことに伴う小学生から高校生あたりの煽られ方がすごいなという。
社会で生きていくためにはこんな能力が必要で、勉強しないとこんな目に合うよみたいな煽られ方が結構されている気がする。
というか、事実としてリアルに日々耳にしている。
教育改革以外でも、社会が不安定になっているとか、少子高齢化・人口減少社会は今日より明日が良くなる社会ではないとか。
もちろん、分かる。
でも、煽られて不安にして動かす方法もある一方で、前向きな発想の転換でワクワク感から動かす方向もあるのではないか。と思う。
教育改革の話、受験制度の変更の話で煽られている高校1年生や、もっと下なら小学6年生も僕は身近に目にしているけど、それじゃあ勉強嫌いになっちゃうよって。笑
煽られて、こなして、乗り越えて、結果勉強嫌いになったらあまり意味はないような気がする。不安を駆り立てられて動いても、不安が0%になる日はきっと来ない。
就職活動でも同じようなことが言える。不安を煽られて急いで準備して、乗り越えて、疲弊してたら意味が無いんじゃないか。
それが正しいあり方なのか。
こうやって考えると、僕らの世代や僕らの下の世代だけが煽られ世代ではない気がしてきた。
一部を除いて、ほとんどの時代を生きた人が煽らせ世代だったんじゃないか?
受験戦争、就職氷河期、、、
そもそも日本時代が外圧によって煽られてきた国なのかもなんてことまで思えてきた。
開国しないと乗っ取られるかもとか、グローバル化についていかないと競争に勝てないかもとか。島国として煽られながら頑張るDNAが備わっているのかも。
もっと言うと、人間の動物として生存するための装置として危険にさらされて煽られて、火が付くように出来ているのかもしれないとまで思えてきた。
そう考えると、ワクワクをきっかけに動かす方がいいのでは?なんて考え方はぬるま湯理想論にも感じる。
にしても、今の小学生の煽られを見ていて若干いたたまれない感じもしたので、やっぱりもう少し別のアプローチがあってもいいのではないかって思う。
きっと今の人間は動物としてのヒトという側面以上に高度に精神的に発展している人間という側面が大きい。
煽られて生存を脅かされて、頑張って生き残っても、結局それが目的だったのかと立ち止まるときが来る気がする。
だから、煽ることの先まで考えてみて、アプローチを考えたい。
煽って勉強嫌いになりながらも生き残ることに価値を置くのか、別のアプローチで勉強を嫌いにならずに人生を豊かで幸福感あるものにすることに価値を置くのか。
おそらく煽られ世代の一員である僕は我に返って、こんなことを考え始めています。笑
今日はここまで。今週もお付き合いありがとうございました。
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