こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。
昨日のブログ「ケータイ持たないおばあちゃん」の中で、おばあちゃんは時計を持たないという旨の記述がありましたが、持っているようです。お詫びして訂正します。笑
ただ、言いたかった結論は変わらないし、個人的に結構気に入ってる文章なので、良ければぜひ読んでください。笑
で、今日なんですが、今日は最近の僕の欲求について書きます。
テーマは「世界史コンプレックス」
僕は世界史をきちんと勉強してきていません。
中学校の社会の授業で扱われる歴史は日本史がメインで、世界史は大航海時代くらいしか触れられていなかったし、その大航海時代すら誰が何をやったのか曖昧に記憶している。
バスコダガマとかコロンブスとか、誰だ?って感じ。
そもそも中学校の時より高校の時の方が勉強が得意な感じだった。
で、高校では日本史を選択した。というか、日本史しか選択肢が無かった。笑
定員80名の公立高校で大学進学組は25人。文系理系問わず社会の科目選択は日本史しか無かった。
おそらく、世界史とか地理とか倫理とかを選択できるようにすると教室が足りないとか先生が足りないとか、生徒が数人になっちゃうとか色んな事情があったんだと思う。
でも、特にそのことに文句があるわけではなくて。
多分世界史が選択出来たとしても日本史を選んでいた気がする。なぜなら中学でコロンブスとかバスコダガマとかよく分かんなかったんだもん。
それでもたしか高校での世界史は必修化されていて、世界史Aっていう世界史のさわりだけざっくりやりますよ的な授業は最後の1年受けた。受験生の年に教養的に世界史をするあたりが進学校ではないロックンロールさを感じて、またこれも一興。笑
当時は定期テストを乗り切るために人名を覚えたりはしたけど、結局ほとんど頭には何も残らなかった。笑
そもそも世界史を学ぶことの意義を理解していなかったということもこのような状況だった理由のひとつにはある気がする。
百歩譲って日本史は、日本人なんだから日本の歴史は知っていた方がいいのかなと思えなくもなかったけど、世界市民として世界の歴史は知っておいた方がいいというのは当時の僕にとっては暴論に近い。笑
そして、そんな状況だった僕が今、世界史コンプレックスを感じている。
世界史コンプレックスとは、世界史を勉強していなかったこと、世界の歴史を知らないことに対する後悔や劣等感、それに伴う知的好奇心のことと定義しておきたい。
そんな状況に陥ったのには最近の僕の興味分野にある。
最近、大学で公共性についての勉強を興味を持ってしていて。公共性について経済学部の授業ではない授業の中で勉強をしている。もともと、公共スペースとか地域にある誰も排除しない余白のようなものに興味を持っていたので、興味本位で勉強し始めると面白くて。
そんな公共性とか公共空間の誕生みたいな話の中で、宗教の歴史、世界の様々なところで起きた市民革命の話が出てくる。近年の公共空間の価値の再認識とか、コミュニティの再生みたいなトレンドの背景にある近代化の歴史や戦争の歴史も。
今目の前にあるテーマを考える上で壮大な世界な歴史を知った上で、背景を知った上で考える方が論理的にスッキリしたり、腑に落ちたりする。
何かしらのテーマを前にしたときではなくても、今の自分の立っている場所とか、今を生きる意味とかそんなことを考えるにしても、世界の歴史やこの先待っているシナリオを想像出来る方が僕は面白く感じるタイプだったりもする。
だから、世界史を勉強したい。
という欲求が最近出てきた。笑
そこで、授業を受けている先生におススメの本を聞き、勉強を始めることにしました。
という報告のブログでした。世界史を勉強することでモノの見方をさらに増やせたり、深めたりすることが出来ればいいなと。
今日はここまで。
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