僕の住んでいるまち神戸にとって今日1月17日はとても大事な日。
いや、日本にとって、世界にとっても大事な日かもしれない。
もしかすると大事ではない日なんてないのかもしれないけど、今日は特別な感情を持つ人が特に多い日のように思う。
僕はまだ21歳で、24年前にあったその出来事を経験していない。
そんな僕にとってでさえ今日は少しだけ胸が詰まった。泣き出す前の感覚みたいな。
僕のお父さんは24年前の今日淡路島にいた。震源地に限りなく近い場所。
今も中学校で体育の先生をしているお父さんだけど、その当時は大学を卒業して淡路の中学校に赴任していたらしい。
お父さんは24年前まさに被災者と呼ばれる立場にいたらしい。
前日の夜、お父さんはいつもとは違う場所で眠りについたらしい。
揺れで目が覚めて、部屋では家具が飛び散っていたらしい。
前日の夜お父さんはいつもと違う場所で寝ていたと聞いた。いつも寝ていた場所、いつも寝る時に頭を置いていた場所にはブラウン管のテレビが飛んでいたらしい。
お父さんがいつもの場所で寝ていたら僕はいなかったかもしれないんだと子供のころに聞かせてもらった記憶がある。
僕は同じ兵庫県といっても神戸から170キロも離れた場所で高校生まで生活していたけど、毎年この日には学校で黙とうをしたし、学校で歌を歌った。
お母さんは当時お父さんと一緒には住んでいなくて淡路島から200キロ以上も離れた地元にいた。まだ結婚していないカップルだったのかな、多分。
淡路島から200キロ離れていてもかなり揺れたらしい。
お父さんにすぐに連絡したって聞いたけど、その時の不安はとんでもなかったんだろうと思う。きっと僕の想像の範疇を超えるものがあったんじゃないかなと思う。
お父さんは子供のころから毎年この時期になると僕たちに震災の話をしてくれていたし、お父さんは県内の色んな学校に出かけて震災の経験を伝えていた。
お母さんもお父さんの話に付け加えるようにその当時の話を聞かせてくれた。
お父さんは今でも家族に今日が近づくとLINEをくれるし、お母さんは僕の今の最寄り駅六甲道駅の当時を伝えるドラマがあることを教えてくれる。
今年は、そのドラマを観たこともあって余計に考えさせられることが多かった。
僕が今神戸にいることも何かの巡り合わせなんだろうか。
神戸での生活も4年になって、来年の今日は新しい場所で生活をしていそうだ。
今踏みしめているこの地面が24年前の今日はどんなだったろう、そんなことを想像した。
心臓がぎゅっとなる感じがした。
いま住んでいる家から一番近くの神社にお参りすることにした。
前々から今週末センター試験を迎える生徒を塾で担当しているから、そのお守りを買いに行こうと思っていたんだけど。今日という日のことを思い出して、これまで4年間神戸で幸せに生活出来ていること、見守ってもらっていることへの感謝も伝えようと思った。
24年前の今日この神社はどんな様子だったんだろう。
今日この日に意味付けをしようとすれば色々な言葉を発することが出来そうだけど、なかなかどれもしっくりこない感じがして。
お父さんがいつもの場所で寝ていたら僕はいなかったかもしれないんだと子供のころに聞かせてもらったこと。これがすべてである気がする。
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