日々言葉を使って生活をする。そんな中で言葉では言い表せないようなことが時にはあって、そういうことほど大切なんじゃないかって直感的に思っている。だから、言葉にならない瞬間を無理に言葉にしようとしたり、言葉にならずに立ち尽くしてる人の気持ちを言葉で要約しようとしたりする行為は必要ないのではないかと思う。
一方で、言葉には力があるとも思っている。力というより、正確には作用みたいな感じかな。最近、言葉を掛け合いながら関係を深められているなと振り返ることができる人間関係が身の周りに存在していることに気づいて、嬉しくなる。丁寧に言葉を選びあいながら、お互いが好きな言葉を選びあいながら、その言葉を掛け合う。そこには、相手を説得しようとか、相手に自分をカッコよく見せようみたいな気持ちはなくて、ただ相手を思って、自分の好きな言葉を選び、投げかけ合う。
時間の経過とともに、友達の数は減っている気がする。無理やりにでも多数の人と会わなければならない学校のような空間から抜けたことで、自然と友達が絞られてきたというか、形式的な友達がいなくなったみたいな感じなのかもしれない。さらには、僕はもともと遊びをあまり知らないタイプだった気もしていて、友達と何をすればいいのか分からない病でもある気がする。
そんな中で今でも友達でいる人、周囲にいてくれている人は、さっき書いたような言葉を投げかけあいながら関係を深めていけるとても尊い人たちだと感じていて、感謝しないといけないなと思う。そして、その言葉を掛け合いながら時間を過ごすっていうことが僕にとっての友達との最大の遊びなのかもしれないなと気づく。
言葉にならないことの前には素直に一緒に立ち尽くしながら、言葉にできることは言葉にして投げかけあって関係を深めていく。その繰り返しだけがあればいいなと思う。仕事もお金も地位も名誉もあったらいいかもしれないけど、なくてもよくて。でも、さっき書いたような関係性の人たちは僕の人生にあった方がいいものだと思う。それだけあればいい気もする。それがあれば、最期の時、良かったって思えると思う。それがなければ良かったって思えないと思う。
0コメント