1月24日。今日で24歳になりました。
いま文字にしてみて、自分がまだ24歳という年齢に慣れていないことを実感します。
僕の実家は、新年になるとおせち料理を囲みながら新年の抱負を家族で共有するという習慣があったのですが、ここ数年はそれがなく。でも、習慣として身についているものではあるので、新年になるとなんとなく心の中で新年の抱負を唱えます。僕はお正月と誕生日が比較的近いので、新年に立てた抱負はそのまま誕生日に心の中で復唱されることになります。
具体的に今年はこれをやるぞとか、ここまで到達したいぞとかっていうイメージも持っていないわけではないのですが、今日は抽象的な指針だけここに書き残して、今年1年間の灯台としようと思います。
タイトルにもある通りなんですが、「見通しと見えなさを共存させながら楽しく生きる」というのを24歳のテーマにしたいと思っています。
もともと僕は何かに向かって見通しを立てて、何かに至るための布石を打って、それを遂行していくタイプでした。プラン通りに物事が達成されることは気持ちがいいし、自分も他者もやったことを評価をしやすかったりします。でも、ここ数年経験したことや、関わってもらった人、出会った言葉などの影響もありながら、「見えなさ」について考えることが増えました。プラン通りに進まない複雑な色々や、そもそも向かっていく対象自体がはっきりとしないこと、その対象が見る角度によって表情を変えることによるプランの立てられなさ...挙げるとキリが無いくらいに社会というか世間というかは「見えなさ」で溢れているように思えます。それはネガティブなことではなくて。見えなさをいかに楽しむかという視点、見えない中で確からしいと思えることを試行しながら少しずついい景色に近づいていくことの面白さなどなどを教えてもらっている今日この頃です。
だから、去年の今頃は、抱負として、「目標を持たない、揺らぐ」みたいな、「抱負なのかそれは?」という感じの抱負を持っていました。今年は、もう少しバランスを良くしてみようということです。目標を立てないで揺らぎながら過ごす局面と、強かに粛々と見通しを持って布石を打つ局面とをきちんと共存させながら過ごしたい。
見通しを立てないといけないこと。大切だと思える人たちと暮らすためのプランニング。
見えなさを楽しむこと。前例のないようなチャレンジ。
矛盾を大切に。
24歳もよろしくお願いします。
p.s.
今日1日、メッセージをくれたり贈り物をくれた方々。ありがとうございます。純粋に嬉しかったです。誕生を祝ってもらえるってどんだけ素敵な習わしなのよって驚愕しています。今日ある方から「生きていると試練といいことがごちゃまぜにくるよね」とふと言われました。そうだなと思った次第です。試練といいことがごちゃまぜの食卓でも、誕生を祝ってくれる人となら美味しく囲めるような気がします。明日からもよろしくお願いします。
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