こんにちは、山本修太郎です。
僕は先日なぜか人生初めてデモに参加しました。デモデビューですね。
今日はそこで感じたことを書こうと思います。
まずは、何で僕がデモに参加することになったのかってところから。
僕は9月の後半2週間を東京で過ごしました。内定先でインターンをしていたためです。
その間、東京の高円寺っていう場所のおもしろいゲストハウスに滞在していました。
その名も「マヌケ宿泊所」
ゲストハウスにはこれまでも何度か滞在したことがありましたが、ここはダントツカオスでおもしろいゲストハウスでした。
初日、ゲストハウスに行ってみると宿泊者は僕以外みんな海外の人って感じ。韓国の人、中国の人、台湾の人が多く、僕の分からない言語が飛び交っていました。その他にもアーティストの人がいたり、ミュージシャンがいたり。
初日こそ若干のカルチャーショックを覚えたものの、滞在2日目で僕が夕方ゲストハウスの共有スペースにいると、ゲストハウスに宿泊している韓国の人や中国の人、その友人の日本人やゲストハウスのオーナーでもんじゃ焼きを食べに行くという話題が持ちあがり、その場に居合わせた僕も誘ってくださって、これは飛び込むしかないということで、もんじゃ焼きを食べに行くことに。
結局、その日は2件目の台湾バーまで行って、おごってもらい、よき夜を過ごしたわけなんですが、そのもんじゃ焼き屋さんでの会話の一コマで、来週高円寺でデモがあるという話に。
しかも、そのデモの主催者がゲストハウスのオーナーで、デモの理由はどうやら高円寺の再開発に反対するということらしい。詳しいことはゲストハウスオーナーが書いた以下を参照してもらえれば分かりますが、簡単に言うと、何年も前から高円寺を再開発する計画があり、それが実現していまうと高円寺特有のカオスな商店街や商店が無くなってしまう。まだその話が現実的に動き出しているわけではないんだけれど、具体的に動き始める前から住民がそのことに関心を持って、主張をしていこうということらしい。
ゲストハウスでお友達になってもんじゃを食べてるみんなも翌週のデモには参加するらしく、「君もおいでよ」的なことを言ってくれたので、興味本位で行ってみようと決めたというのが事の運び。
(もちろん興味本位とはいえ、数日高円寺で過ごしただけでもまちの人やまちの雰囲気が好きになっていて、デモの趣旨への共感もありました)
ゲストハウスのオーナーが言うには、どうやらそのデモは普通のデモとは違っていて、主義主張を強い言葉で訴えて歩くというより、ロックミュージシャンやDJなどが盛り上げながら楽しく練り歩くパレードのような様相になるとのこと。
それから1週間、人生で初めてデモを楽しみに日常を過ごすという経験をしました。笑
そして、当日を迎えるわけなんですが、当日の話をする前に、そもそもデモに関して僕が参加する前に持っていたデモに対するイメージや意見を少々。
以前、abemaTVの番組で、「デモは意味があるのか」みたいなテーマである芸人さんとコメンテーターの方々が議論している様子を見たこともあり、僕はこのデモに参加する以前からデモには一定のイメージや意見を持っていました。
それは、どちらかと言うと、デモよりほかにもっといい方法があるんじゃね?っていう、デモに肯定的ではないタイプの意見でした。
だって、なんか怖いし、実際にそれで目的が達成されている感じが見て取れなっかたし、なんとなく自分には関係の無いことというか、やや冷めた感じで見ている節があったような。
まあ、一方で、投票で国や行政の方針が決まっていくシステムにおいて、投票してない方の意見が多数決で通ったときに、それでもあきらめずに自分たちの意見を発信する一つの手法として意味がないとは言い切れないのかなとかも思ったり。みたいな。
いずれにしても、僕にとってはあまり実感のない議論だったわけです。
そんなこんなで、迎えた当日。
指定された時間に、集合場所に指定された公園に行ってみると。
そこには想像を超える数の人が。
(僕は大体何人くらいいるなぁみたいな予測の感覚が圧倒的に鈍いので何人いたかは不明)
さらに驚いたのは、公園を向かう道中、周辺の道路に待機する警察官の数。
ヤバいところに来てしまったのではないかと思いましたが、どうやらこれはデモをやるにあたって警察に適切に届を出しているから、事前に周辺道路の交通の妨げになったりしないように警察が警備をするみたいな、そんな感じだったからだそうです。
(こういう事実も行ってみないとただ怖いなって判断しちゃうだけになってしまうよね)
にしても、警察が多くてびびった。笑
そして、いよいよデモがスタート。
まず、開会式的なものがあって、そこでは主催者の方や再開発に反対する地域の方、ゲストハウスで友達になった台湾の人、実際に本を読んだことのあるような有名な作家さんから思想家の方まで、いろんな人が高円寺という場所への想いを語っていて。
ここで再度何か凄いところに来てしまったのかと感じる。笑
でも、そこには大好きな高円寺というまちや、缶ビールを持ち寄って知り合いから初対面の人まで誰も排除せずに飲める公園や道端というある種の公共空間を守りたいという、目的に人が集まった結果のコミュニティが生まれていて。僕も自然に初対面の人と会話が出来た。
(コミュニティという言葉についての僕の考えは昨日のブログを参照)
いよいよ、デモ行進が始まる。
ロックバンドがギターをかき鳴らし、ドラムを叩く。DJが参加者の心を躍らせる。
参加者は自然と笑顔でノリノリで歩く。
結局僕も缶ビール片手に3時間くらい歌を歌いながら、いろんな人と乾杯しながら歩き回った。
このブログの締めくくりにデモの最後に感じた感想を少し。
デモという手法がいいのかどうかみたいな前半に書いたような自分の中での議論に何か結論が出たわけではありませんが、参加してみると意外にすごく楽しい場だったことは確かに言えることです。
(もちろん今回のデモの特殊性もありそうですが)
また、今回のデモのように水面下で進んでいるような計画をすくい上げて、デモとしてそれを知らな人にインパクトのある形で発信するというのは、デモの強みなのかもしれないとも感じました。
そして、当たり前だけどデモをする人の中には主義主張があって、その主義主張を発信することやその主義主張への共感という目的のもと、多様な人を受け入れ、一見カオスな様相ですが、その中は実際には凄く平和な世界が広がっていたように感じます。
足を運んでみて、自分の感性で感じてみて、初めて意見できることがあるなと思うし、世の中そんなことばかりかもしれません。
平和の対義語は混沌(カオス)
でも、意外にカオスを受け入れている寛容な場こそ、混沌としているように見えて平和なのかもしれません。
歩きながら見た夕日がきれいだった。
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