こんにちは。山本修太郎です。
今日は世代や世代間の話を。
最近、大学の授業で社会保障やら国の政策やらに関する話を多く聞いていて、それによって必然的かのように世代間格差とか世代間の対立の話が出来てきています。
(必然的かのような、というか、必然的なんだろうな)
僕自身、その辺の議論には興味があって。本当は社会学で取り上げられたりする若者論的な話が好きなんですが。
(一方で、若者はそんなひとくくりには出来ないよ、とか、世代の特徴を述べることに意味はそんなにないだろうとも思うんだけど、面白くて読んでしまう)
古市のりとしさんの「絶望の国の幸福な若者たち」とか「僕たちの前途」とか面白かった。
(また本の話も書きたいな。というか、今日いつにも増してカッコが多いな)
で、本題なんですけど。
世代間の不平等って確かにあるよなぁって話を聞いていると感じる。よく見せられる現役世代何人でお年寄り何人を支えていますみたいな図を見せられると、重たそうって思わずつぶやきたくなる。
(世代間の対立の話になると、おんぶしている若手世代みたいな論じられ方をするのも問題の一つなのかもしれない。高齢者が若者におんぶしてもらっているという構図で論じられていることに高齢者の方がどう思っているのかも聞いてみたい。)
シルバ―民主主義って言葉もあるみたいで、投票率もお年寄りが圧倒的に高く、お年寄りの意見が通る世の中だみたいな。こればっかりは投票に行ってない若者が悪いという部分が大きいけど、若者全員が投票に行っても、お年寄りが全員投票に行った場合、人口ピラミッドを見る限り構造はそんなに変わらないのかな。
そんな話を聞いてると、これから就職するにあたっても、相当お金持っていかれるんだろうなと想像出来て若干気持ちが落ち込んでくるし、そんなことをさらに考えていくと高齢者に冷たい気持ちもどこかで芽生えてくる。これが世代間対立ってやつですね。
でも、ここで一歩踏みとどまろうとする自分もいる。
先週実家に帰ったときにおばあちゃんに会いに行って、おばあちゃんが78歳だってことを知った。なんとなくそのくらいの年齢なんだろうってのはぼんやりと頭にあったけど、実際に本人の口から正確な年齢を聞くと、リアリティを持って感じるものがあった。
そして、そんなおばあちゃんが僕たちの世代に残してくれているものも大きい。本人は僕たちに残そうと考えているわけではないだろうけど、たくさんの農作物を今も育てていて、キウイの木があることも先週知った。それを見て、僕は来年からはキウイ栽培の最前線に参加しようと思ったわけで、そうやっておもしろがれる余白を残してくれている。
さらに言うと、そのキウイの木は梨農家だった亡くなったおじいちゃんが梨以外にも何かを残したいと思って梨山の余白に木を植えたわけなんだけど。
そんな風に世代間で結局は一方的にどちらかがどちらかを一方的におんぶするという構造ではないと思う。でも、そのことを、そのあたり前の認識を確認する機会が少ないことは事実だと思う。
僕はおじいちゃんおばあちゃんと同居する3世代同居だったからまだ高齢者を身近に感じられる環境だったけど、そんな状況もレアになりつつある。
だから古き良き家族の在り方を復活させようとかって言いたいわけではないけど、世代間の思いやりが感じられる方がいい世の中だなとは思う。
だから、せめてものブログでの発信というわけです。
人口構造はどう頑張っても変えられないし、まずは変えることが出来るメンタリティの部分から変えていく方がいい。
そんなことを最近の大学での学びとおばあちゃんとの時間の中で感じました。
なにはともあれ、来年キウイの交配をさせるのが楽しみ。
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