こんにちは。山本修太郎です。
今日はちょっとした気づきというか、元から思っていたことがふと、すっと言語化されたことがあったので、そのことを書きます。
僕は地元香美町で活動を始めて2年くらい経ちますが、その中で少しずつ考えを変化させながら、思考を深めながら進んでいます。
一方で、逆に知らなければよかったなぁとか、考えなければ楽なんだけどなぁみたいなよく分からない、正解の無い問題にぶつかることも多々あります。
(むしろそういうことばかりな気もする)
僕がそういう問題にぶつかった最たる例は就職活動です。
僕は自分の興味領域や当事者意識から就職後も地域に関われるような仕事がしたいと考え、地域に関わる事業をしている企業や組織を探しました。
昨今の地方創生という言葉の出現もあってか、世の中には僕が想像していた以上に「地方創生」とか「地域活性化」と名のついた事業がたくさんありました。そして、ぞの事業内容も多岐にわたり、僕は何をもって決めればいいのか悩み、「地方創生」とか「地域活性」という言葉の定義、その価値を再定義しようと試みました。
(昨日のブログといい、僕は言葉を定義しようとしがちなのか。笑)
「地方創生」の言葉の定義などその辺の詳しい僕の考えはいずれまた書くとして。
その言葉の定義に加えてもうひとつの僕の判断軸となったのは、フィーリング的な部分です。フィーリングで人生の大事な決定をしてしまってもいいのかとも悩める反面、感性を研ぎ澄ましてしかできない判断もあるし、何より2年ほど地元で活動してきたのも「やりたい」と思う感情に従った結果です。
その感情のアンテナがGOと言ったり、NOと言ったりする分かれ目に何があるのかということが今日書きたかった内容で、
それは、「愛があるか」ってことです。
某CMの「そこに愛はあるんか?信じられえる愛はあるんか?」的なやつです。
僕もそうだし、企業の大抵もそうだと思ったのですが、基本的に地域で何かをしようとする時、そのベクトルとしては、今あるものを守りたいというベクトルと、新しいことをやりたいというベクトルがあるように思います。
(もちろんそれだけではない)
そして、その前者はそれを達成するために現状維持ではなく何か新たな取り組みをしていく必要があるし、後者はそれを達成するためにゼロから新しいものを作るよりも今あるものに手を付けていくというような、相互に交わる点もあるように感じます。
僕は、いずれのベクトルもいいと思っていて、いずれのベクトルでも、それは地域に「いじれる」何らかの部分があるから成り立っていくという側面があると思います。そして、そこにおもしろさがあるとも思っています。
でも、お笑いの世界でも聞きますが、「いじる」というのは愛があって成立する面白さであって、愛無きいじりは「いじめ」であるということ。
それが僕のフィーリングだったと100%言語化出来ているわけではないですが、感じるわけです。
地域での活動を今後もおもしろがりながら続けていくために、愛のあるところで動きたいと思っているし、何かをその地域でやろうとするときにはそこに愛のある関係を作るところから始めたいなと思います。
(書いてみて、なんか大学生の理想論だなと思う自分も若干いますが、ブログは理想を書く方が基本的には楽しいと現時点では感じているので、良しとします)
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