通学路のチカラ

こんにちは。山本修太郎です。


今日は通学路について書きます。


今後もネタが切れることなくブログを書き続けられるのか不明ですが、どうしても興味・関心の領域的にまちのことを書くことが多くなるんですが、あまり関係のないテーマも水たまりのように頭の片隅にはあったりするし、次の水たまりを作るためにスペースを空けるためにその思考を排水するというのもブログの目的の一つなので、今日は通学路について書きます。笑


何で通学路かというと、理由はなく、自然と通学路について考えることがあったからです。


僕は保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と学校教育的なものを受けましたが、保育園を除いては、徒歩か自転車で通学をしてきました(高校の時だけ自転車)。電車やスクールバスで通学したことは無く、高校に上がるときには電車通学(僕の地元の場合は、汽車通)憧れを抱いていました。


ただ、今となって考えてみると、幼稚園とか小学校の頃の徒歩で通学する時間ってすごく尊い時間だったように感じていて。


春にはサクラの花びらを拾ったり、秋には松ぼっくりをけったり、冬には雪が積もった川に友達を誘導して川に友達を落としたり。季節の変化を意識していたわけではありませんが、通学路には変わりゆく遊びがあったような。


山側にお家があった仲良しの女の子は帰り道で山に少し入ってタケノコを掘り出して帰っていたとか。笑



最近、地方では学校の統廃合が進んでいたりして、そのことについてはメリット・デメリットそれぞれあると思いますが、一つ失われる可能性があるものとして通学路の遊びがあるのかもしれないと思ったりします。



統廃合で電車通学やバス通学になったりするのかなぁ、みたいな。



それはそれで車窓から季節の変化を感じたりするんだろうと思う反面、通学路という決められた場所、時間、人間関係がおもしろかったなと回想したりします。


幼稚園などの幼児教育は、素直さなど数値で測れない非認知能力ってやつを育てることが大事らしく、それをいかに鍛えられるかが小学校以降の科目教育で必要となる数値で測れる認知能力ってやつを左右したりするらしいです。


急に学術的になりましたが、何がって、田舎には数値で測れない教育効果があるんかもなぁと。

(この辺の知識は古市憲寿さんの「保育園義務教育化」という本から得てます。おもしろい本で、かなり僕の好きな本です)


僕は、大学生になった今も人通りの少ない川沿いの通学路を大学4年目にして開拓して、こそこそ歌を歌いながら、通学路を満喫していますが、通学路って何とも言えない魅力というか、おもしろさがあるように感じてなりません。


では今日はこの辺で。



↓ カンボジアの通学路


山本修太郎

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