こんにちは。山本修太郎です。
今日は価格についてっていう、経済学部生らしい内容について書きます。笑
まがりなりにも経済学部で4年近くを過ごしていることになるんですが、なかなかその面白さに気づけずにいる自分がいるのが事実で、来る学部を間違えたのかなと感じることもこれまで多々ありました。
その一方で、特にここ1年か2年くらいで経済学の中でも面白いかもしれないと感じるひっかかりは増えてきていて、それは大学以外で活動の幅を広げ、興味に応じて本を読み、知識も蓄えつつあるから、勉強している内容にリアリティを持って取り組めるようになったからなのかもしれません。
また、学部選びを間違えたかなと思う場面がある反面、他の学部の人と話したりしていると、やはり自分の興味は進路選択をした高校生のころから変わらず社会のことにあるし、やりたいこととしても高校生の頃から大きくは変わらず、社会をよくする、楽しくするアイデアを考えたいということで、広く言えば政策的な話に興味があるんだろうと思います。
前置きが長くなりましたが、今日は価格の話。さらに言うと価格はメディアであるというちょっとおもしろい考え方について書くわけで。
この話題は最近授業で取っている経済体制論という授業で耳にしたものです。
この授業は、経済の細かな理論をこねるというよりは、経済という広い概念をいかに捉えるかみたいなことを試行し続ける感じの授業で、その内容が僕としては性に合っており、なんとなくこの授業がある日は楽しみに朝起きるみたいな生活を最近は送っています。
本題ですが、僕のアンテナに引っかかった価格はメディアであるという考え方。
どういうことかを説明するためにそもそも価格というものに関して少々。
僕たちが生きている社会や経済の基本的な仕組みの一つに価格というものがあります。価格は当たり前ですが、モノやサービスに数値をつけて、そのものの価値をみんなで共通の認識で理解するために存在しています。
それが当たり前の理解ですが、もう一歩踏み込んで考えてみると、そもそも価格がつけられているモノというのは、市場で少なくとも競争に生き残ってきてそこに存在しています。当たり前ですが、市場で生き残れず淘汰されたものはそこには存在しておらず、価格づけはされていません。
(もちろんこの後さらに価格競争というものが待っているわけですが)
そして、競争に生き残って市場に出てきているモノというのは、そのモノが競争に勝てるだろうという予測や解釈があったからそこに存在しています。その予測や解釈が外れれば、競争に負け、淘汰されてしまうためです。
例えば、ソニーのウォークマンとAppleのiPodが例になるかと思いますが、カセットテープを入れて再生するウォークマンの時代、それが売れ続けると予測したソニーと、データを持ち歩く方が売れるとしたAppleの予測があって、結果Appleの予測が当たり、市場にはデータを持ち歩くiPodが残り、カセット型のウォークマンは消えました。
結局何が言いたいのかと言うと、価格は単にそのものの価値に決め打ちで数値を与えているわけではなく、そのモノがここにある背景に存在している予測や解釈を数値で表していると考えることが出来るのではないかということです。
白菜が値上がりしたとすれば、それは今年はあまり白菜が採れないと農家の人が予測・解釈した結果だし、宝石が値上がりするのは鉱山から原料となる鉱石が減ってきているから将来にわたって収量を維持できるように採る量を減らすべきだと現場が解釈した結果かもしれません。
(もちろんそれだけが要因ではない)
そう考えれば、高い価格づけされることで、たくさんの人々は鉱山から鉱石が減っているという背景は知らなくても、価格を見てその消費を自然に節約し、社会的にいい状態に導かれるみたいな構造が見えてきます。
つまり、価格は競争に生き残った予測や解釈という情報を社会に拡散するツールであり、その点で価格はメディアだと考えることが出来ると、そういう論理的な流れがあります。
この話を聞いて、おもしろいなと思いました。
そもそも価格はメディアだっていう格言めいた響きにも惹かれます。笑
でも、僕はここで1点違和感を持った部分もありました。
それは価格はメディアだとして、必ずしもその背景を知らずに消費者が消費を減らすことが社会的最適を導くわけでもないのが今の社会なのではないか、ということです。
この価格はメディア論自体かなり昔に提唱されたものらしく、現代に応用して考えると別の教訓も出てくる気がします。
現代においては価格のメディア性をより慎重にとらえて、その背景まで考えようとする姿勢も必要なのではないかと思います。
それは、経済が同一ではなく多様だから。
地域間で経済のあり方には違いがある反面、鎖国的に地域で独立して経済を回すことは不可能で、色々な地域・経済圏と関わりを持ちながら進んでいく構造が現代にはあります。
だから、必ずしも価格の高低で背景を考えずに意思決定すれば、その背景で淘汰されるものがあり、それがある地域経済にボディーブロー的に打撃を与えたり、時には決定的な一打になることもあります。
じゃあ消費者が我慢して高いものを買えよってことなのか、というとそうでもなくて、生産者も価格のメディア機能を積極的に使って、そこにその背景を乗せて消費者に届ける努力が必要。そして、その背景を覗こうとする消費者の姿勢が必要なのではないでしょうか。
世の中100対0で考えられることはほとんどないと思います。バランスが大事。
だから淘汰されるのは経済原理上仕方ないこととできる一方、本当にそれでいいのか、新たな経済のあり方を再考しながらいいバランスを探ることも必要に思えます。
価格というメディアを最大限そのモノに関わるみんなが活用できるといいなと感じました。
P.S.「しとしと」というウェブメディアをし始めてメディアは何も紙やウェブだけじゃないと最近強く感じます。メッセージを発信しているものはすべてメディア。いろんなメッセージに耳を傾けられるように僕もなりたいです。
0コメント