思考が肥大化したときほど大切な人に立ち返る


こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。


昨日、一昨日と「矛盾」をテーマに抽象的な文字を書きました。


ブログには顕著にその時自分の考えていることが表れる気がします。


ここ2日の抽象的なブログにも表れているように、最近の僕は、考え事をしまくっています。


考え事というか勉強というか。


大学生活もエンディングにさしかかっている今になって、これまで自分が興味を持ってやってきたことを改めて見直すというか、深く勉強し直そうとしているというか。そんな感じです。


具体的には、地域の話やコミュニティの話、もっと言うなら社会について、改めて歴史から遡って勉強をしています。


そもそも、社会の勉強が小学校から好きだったので、自分が生きる社会がどういう背景で成立してきたのかとか、今話題に挙がるテーマの背景にある社会の変化について今改めて勉強していることを苦行だと思いながらやっているわけではなく、むしろ、楽しんでいるし、その勉強の先人である教授をカッコいいなと思いながら、勉強しています。


でも、一方で、勉強しようとすればするほど、どんどん深い沼に足を取られるような感じもあって。


なんというか、歴史の積み重ねって複雑だし、突き詰めれば突き詰めるほど結局何のために勉強してるんだっけとか、ぐるぐる考える自分が出てくる。


さらには、勉強すればするほど、自分がどんどんちっぽけに思えてきたり、今まさに感じる様々なことに対する違和感に対しても自分は何の影響も持たないように思えてきたりする。


勉強して一つ賢くなれば、これまで自分がしてきた行動や出してきた成果らしきものに対してそれだけかよって思いそうになる。


と、まあ、何ともネガティブなモード。笑


基本設定としては僕はポジティブな人間なはずで、わりとなんでも前向きに発想をするタイプなんだけど、おかしいな。笑


賢くなるってことは、悲観的になることなのか。そんなことはないと思うけど。これまでの自分のポジティブモードは平和ボケだったってことなのか。そんなことはないはずだけど。


最近の僕の頭の中はこんな感じ。


そんな中、今日ふと歩きながら音楽を聴いていて。最近、イヤホンが故障してあまり音楽を聴いていなかったんだけど、イヤホンを復活させて久しぶりに。


中学校の時から大好きな高橋優を耳に流し込んでいた。


すると、「夜明けを待っている」っていう曲が流れて。


これまで、あまり僕の中の高橋優ランキングで上位には無かった曲だけど、今日は妙にこの曲が響いた。


この曲で、優さんが声高らかに歌っていたのは「大切なものはいつも一つだけ。愛する人がいればいい、それだけ。愛する人が笑えばいい、それだけ」って。


たしかに、って思った。


ここ最近思考がどんどん肥大化して、なんだかぐるぐるとしてたけど、結局こうして考えることの原点には、きっと自分を含めて大切な人とか、すごく身近な幸せがあったはず。


小学校の時に社会の勉強が好きだったし、小学6年生の時には、小学校にエレベーターを設置してほしいって当時の町長に手紙を書いたことがあった。


それは学校に車いすの先生がいて、いつも給食のコンテナを運ぶ真っ暗で怖いエレベーターで移動しているのが嫌だったからだ。


賢くなるにしたがって、勉強するテーマや自分の考えが大きくなっていって悩むけど、そういうときほど身近な幸せとか、好きな人とか、大切な人、たった一つの大切なことに立ち返ろうって思った。


そんな今日この頃でした。



山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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