大人になるって何だ。
大人になるって人に怒られないように、文句を言われないようになることなのか。
そうなんだとしたら僕は大人にはなりたくない。
そんな大人に僕は憧れないし、きっとこの僕のDNAを受け継ぐまだ見ぬ僕の子どもにも憧れれられないお父さんになっちゃう。
自分が正しいって思えることを正しいって声高に叫びたいし、それに共感してくれる仲間と本気で覆しにいきたい。
そのやり方を身につけることが大人になるってことなのでは?
自分はおかしいと思うけど、それは棚に上げて、生きるためには怒られないようにしておくのが最善って、その最善を選び続けることによって困るのはまだ見ぬこれから大人になる人たちだって僕は思う。
怒られること、文句を言われることがリスクなのか。
怒られること、文句を言われることを気にして現状維持し続けることがリスクなんじゃないのか。そうし続けて、今リスクを抱えまくってるんじゃなかったの?
僕は怒ってくる人や文句を言ってくる人の目をちゃんと見て、ひざを突き合わせて自分の意見を主張したいし、怒ってくる人や文句を言ってくる人の目やひざの温度や言葉からも逃げずにいたい。
大人がそんな感じなんだったら、僕は大人になっていない人間として、まだ大人になっていない人間を巻き込んで本気を出すぞ。
でも、憧れる尊敬できる大人もいる。
だから、僕は大人になってない人間として、まだ大人になっていない人間を巻き込んで、さらには僕がおかしいと思う大人になっていない大人まで巻き込んで本気を出すぞ。
喧嘩じゃない、正しいと思うことを正しいと色んな方法で叫び続けることで戦う。
常識なんてくそだ。固定観念は迷わずゴミ箱へ。
教科書全部破こうぜ。このまち全部壊そうぜ。
そんな君はまっすぐ過ぎるっていう人、まっすぐでええやん。
社会でそれは通用しないっていう人、その社会が大好きなんだったらいいけど、僕は嫌い。嫌いな社会で生きるために自分を振る舞いを変えるより、自分が大好きな社会をつくるために怒られながらも走り続ける方を僕は選ぶ。
これは僕の意思表明。
嫌な大人になりかけたら僕は、今日書いたこの言葉の集まりに戻ってくることにする。
大人の皆さん、今後とも宜しくお願い致します。
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