フィルムカメラ

2018年新しく始めたこととしてフィルムカメラがある。


始めようと思って始めたわけではなく、偶然が重なって始めた。


以前から僕の周囲にはカメラを趣味にしている人がいて、正直僕はそれを何が楽しいんだろうなぁと思って見ていた部分がある。


カメラってすごくお金のかかる趣味だし、ケータイでいつでもきれいな写真が撮れるのに、何でわざわざカメラを趣味にしてるんだろうみたいな。


だから、僕はあまり高価なカメラを買ってまでカメラを使って写真を撮ってみたいなとは思っていなかかった。


でも、カメラを趣味にしている人の撮った写真をたまに見ると、たしかにケータイで撮った写真と違うのが分かる。


スマホのカメラがどれだけ進歩してもこの世からカメラが無くなっていないんだから、それだけカメラには優れた点があるんだろうというのはよく考えてみれば当たり前のことなんだけど。


とにかく、カメラを趣味にしている人の写真は美しかった。美しく感じた。


ある日、実家にいるときに、ふと、カメラのことを思い出した。我が家ではいつかのタイミングまではフィルムカメラを使っていたけど、デジタル化の波は我が家にも押し寄せ、あるタイミングからデジタルカメラに変わった。


僕は、高価なカメラを買ってまでカメラを趣味にしたいとは思っていなかったものの、裏を返せば、高価じゃなければやってみたいなと興味を持っていたのも事実で、デジタル化の波によって使われなくなった眠ってるフィルムカメラがあるかもしれないと家の中を探すことにした。


案の定、使われていないフィルムカメラが家にあって、どうやら電池を交換すればまだ使えるらしかった。


早速それを神戸に持ち帰って電池を入れ替えて、使ってみることにした。


こうして始まったフイルムカメラという趣味。

(趣味という表現が合ってるか分からないけど)


休みの日に出かける時に持ち歩くようになり、コツもなにも分からないままに撮り始めるようになった。


初めて現像に持って行った時は、自分が切ったシャッターによってどんな写真が撮られているのか気になる好奇心と、失敗してたらそれを現像のおじさんに見られるの恥かしいなぁという謎の羞恥心と、変な気持ちだった。


現像された写真を見てみると、なかなか味のある写真が撮れていて、それでフィルムカメラが楽しくなってしまった。



味のある写真が撮れたのはおそらく僕のセンスが良いからではなく、カメラがいいからだと思う。


フィルムカメラは撮っても現像するまでその写真がどんなものかは分からない。


これがフィルムカメラの難点でもある反面、これが楽しさでもある。


一期一会感みたいな。


36枚とか枚数が決まっているのも難点であり、楽しさ。


限りある中でどれだけこだわれるかとか、どこでシャッターを押すかとか。


偶然の出会いとか限られた条件でどう楽しむかとかそんなことが結構好きな性格である僕にとってはなかなか相性のいいカメラかもしれない。


そして、フィルムカメラには時間とお金が毎回かかる。


普通のカメラだと最初にカメラを買う時にたくさんお金がかかる。フィルムカメラはその点、僕は家から持ってきたものでお金はかかっていないし、買うにしても中古でちゃんと動くものが安価で手に入ったりする。


でも、その反面、毎回現像にお金がかかる。そして、毎回フィルムを買うお金がかかる。


さらには現像を待つ時間も、普通のカメラには無い部分。


ただ、そのお金と時間も価値だったりする。


カメラ屋さんや常連のおじさんとの会話。カメラの先達による技術指導。行くことの無くなってた地元のカメラ屋のおっちゃんとの再会からの立ち話。


なかなかいい。


どれだけ世の中が便利になって、カメラが高性能になったって、フィルムカメラという不便を愛している人がいる。カメラ屋さんも常連のおじさんも、インスタ女子も僕も。


その事実に勇気が湧いたりもする。


フィルムカメラは僕の生活や考え方を色々と豊かにしてくれているようです。


この週末はまたフィルムカメラを持って地元へ帰ります。

山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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