清潔ジャパン


日本ってなんて清潔な国なんだろうと思ったことがあります。


大学1年生の夏休み。


それまで海外に行ったことが無く、海外へ行ってみたいと思っていた僕。さらには将来は海外で働くような仕事に就きたいと思っていた僕。


カンボジアで6週間、日本人一人の環境でインターンシップが出来る機会があって、飛び込んでみることにした。


6週間色んなことがあって、今日はその色々については書かないけど、1ヶ月半ぶりに日本に帰ってきて最初に思った感想が、「清潔」。


僕はそこまで自分の感情やイメージを言葉にする際のバリエーションが多い方ではないと思っている。いわゆる語彙ってやつがそんなに豊富ではないと自分では認識している。


僕の周囲には言葉にとてもこだわりを持っていて一言一言をとても丁寧に紡ぐ素敵な人が何人もいるから、余計と自分の言葉に対してそんな風に考えるのかもしれないけど、結構ぱっと言葉を浮かべることが多い。


1カ月半の間日本を離れて、日本を改めてみたときにぱっと出てきた言葉は「清潔」だった。


この言葉には大した意味は無くて、単純な感想なんだけど。


まあ6週間もいわゆる発展途上国と言われたりするような場所で過ごせば、日本に久しぶりに帰ってきて「清潔」って感じるのは当たり前のことなのかもしれない。順接。


でも、「清潔」っていう言葉を頭に浮かべた僕はプラスな感情とプラスでない感情の両方を抱えていた記憶がある。


空港の通路を歩いていると床はピカピカで、空港の開けた場所へ出るとすぐに自動販売機があって。カンボジアにいるときはいつも汗だらだらでのどが渇ていて、こんなにどこでも冷え冷えの飲み物を飲める日本って最高!!って思った記憶がある。


空港の外に出るときれいに整備された道路が交わっていて、空気もきれい。砂ぼこりは無かった。


でも、日本に帰ってみて再度日本での日常を取り戻してみると、「清潔」過ぎて居心地が悪く感じることもあると気づいた。


白々とした照明の下で豊富な品々が整然と並ぶお店、ピカピカのビル、完璧を求めて完璧でない人やモノにピリピリしている人。


モデルルームみたいな部屋もいいけど、少し生活感がある家の方が落ち着くみたいな感覚。


何でそんな怒ってんのって思う人も良く目につくようになった。


飛行機の客室乗務員の人に何でかキレているおじさん、ケータイの向こうの誰かを怒鳴りつけている人。


実際何で怒っているのかは定かではないけど、聞き耳を立てていると客室乗務員をそんなに怒鳴っても仕方ないやんみたいな感じのことだったりする。


完璧を求めて、清潔を求めていく先に、そうでないものに出くわす際の怒りのようなものがセットであるんならもう少し落ち着ける状況の地点で立ち止まっていたもいいような気がした。


清潔とか完璧って主観的なもののような気もする。


僕の考える完璧と、あなたの考える完璧が違う時もある。そんなときの方が多い。


そう思えば清潔とか完璧を基準に動くことは衝突の原因になるのかもしれないと思えてくる。


1カ月半日本を離れて帰ってきたときに見えた日本は、誰にも怒られない水準まで過剰に清潔な、ご機嫌取りにも感じた。


清潔でないこととか完璧でないことを受け入れて認められることが「愛」なのかなとか思ってみる。


(僕の周囲には言葉にとてもこだわりを持っていて一言一言をとても丁寧に紡ぐ素敵な人が何人もいるから、もっとちゃんと考えろやって言われるかもしれないけど。笑)


でも、そんな「愛」に溢れた人も日本にたくさんいるなと思うから、まだまだ捨てたもんじゃないジャパン。


清潔、完璧だけじゃない日本の奥深さを無くさないようにひとりの日本人として「愛」を忘れずに過ごしたい。










山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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