こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。
今日はタイトルの通り、僕の行動規範なるものを言語化してみようと思います。
僕は自然発生的に自分の行動規範を言語化しようなんて考えるタイプではないのですが、何でこんなことをしようと思ったかというと、1月末にある機会で登壇してプレゼンをさせてもらえるそうで、そのテーマのようなものの中に僕の行動規範を話すという旨のものがあったからです。
最近は特に、自分の行動規範を言語化することはあまりなく、一度時間を取って考えてみないとどうにもプレゼンまでまとめれそうにないぞという感じなので、せっかくだからブログに書きながらにしてみようというわけです。
前提として、今回行動規範と定義されているものは課題解決のための行動規範みたいな、行動規範の中でもさらに制約のあるもので、「人に優しく」といった感じのことなら心の中に持ち合わせている僕ですが、なにやらその感じでは求められているものと一致してなさそうで。笑
課題解決のための行動規範となると尚更難しいし、その必要性を必ずしも僕自身が認識していない部分もあるのかもしれません。
というのも、最近の僕は課題解決といった言葉を使う機会も以前に比べると少なくなっている気がしていて。課題というと多分世の中にはそれが数えきれないほどあって、しかもそれらが複雑に絡み合っているらしく。
なかなか課題解決という言葉を充てたときに僕自身当事者意識が持ちづらくなることが結構ある気がします。
この辺は人によりけりなんだろうと思うんですが、就職活動などをしてみても社会課題解決といったことを掲げている会社はたくさんあるし、そればかりといっても良さそうな感じで、その何とも壮大なテーマに対して果敢に走れる人と、もう少し身近なレベルに落とし込んで考えたいという人がいるような気がうっすらとしています。
僕は前者と後者の中間あたりで、前者が強い時期もありますが、最近は後者に寄っています。
そんな風に後者、身近なレベルに落とし込みたいとなると、行動規範というかそう行動せざるを得ないこととして「人に話を聞きに行く」といったことになってきます。
その後はもう、出たとこ勝負というか、みっちりとかっちりと行動規範を立てるよりは、話をもとに感性とも相談しつつ何かしらのアクションを開始して、またその話した人のところに戻ってくる。最近の僕の傾向を考えるとこんな感じな気がしてきました。
一方で、この手の動き方をする時にブレーキ的に持っていないといけない行動規範的なものが偏らないようにバランスを取ろうとすることかなとも思ったり。
100%偏らないことは不可能に近いと思うものの、話を聞いた人の見方がすべてではないことを念頭に置こうとし続けることは大事かなと思う。だから、行動しながらも過去を掘り下げて歴史的背景を知ろうとしたりするってのが最近の僕の行動の傾向っぽい。
こんな風なトライアンドエラーの繰り返しになってくるのかな。
もう一つあるとすれば、この手の身近なとこから系パーソンの場合、仲間が増える喜びが何にも代えがたいやりがいになったりするので、コツコツと仲間が増えることに感謝を持ちながら、仲間を増やせるような共感しあえるようなコミュニケーションをしようとすること。
というと、何とも意図的で僕は少し嫌な感じがしますが、前向きで建設的なお話をしよう。前向きな精神で、困ったときも出来るだけポジティブに。とそんな感じかな。
壮大なテーマに突っ走れる人は強い発信で一気にスピーディーに世の中を変えられるエネルギーがあるように見える。素敵だ。
身近なところからコツコツとやろうという人はきめ細やかに丁寧に置いていかれる人がいないか見ながら歩ける気がする。素敵だ。
登校班の班長と副班長のような関係性で、世の中の課題解決にはグイグイとエネルギッシュに引っ張る人と、後ろから置いて行かれる人がいないか気を配りながら歩く人のどちらも必要な気がする。
その点で、どんな行動規範が無いといけないということは無いんだろうな。
色んな人がいることが、色んな種がいることが生存することの条件だったりする地球だからなぁ。
こんな感じでプレゼンできるのか分かんないけど、ひとまずの言語化でした。
以上。
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