僕は平成9年の1月生まれです。
もうすぐ生まれてから22年が経ちます。
最近は「平成最後の」というのがトレンドワードのようでよく耳にしますが、それに乗っかれば平成最後のお誕生日がもうすぐ近づいているということみたいです。
平成が終わるということでメディアでは平成を振り返るような企画をしているのをよく目にします。年末年始久しぶりに実家でテレビを観ていた時にもそんな企画をしていました。
僕は平成のほとんどの時期を子どもとして過ごしたので、平成がどんな年だったのか客観的に見ることが出来るような感じではありません。
でも、なんとなく平成9年(1997年)に生まれたという事実を意識している部分が最近はあったりします。
最近改めて歴史の勉強をしてみると、自分が生まれる前の世界の話、自分が生まれて間もない世界の話を知ることが出来てとても面白いのですが、僕や僕の同級生が生まれた平成9年とか平成8年あたりに大きな出来事があるように見えてきます。
これは単純に自分に関係のある年号が目につくからそう見えているということもあるのかもしれませんが、今日は改めて僕や僕の同級生が生まれた平成9年、8年あたりの出来事を見てみて、自分を少し歴史の中に立たせて考えてみようと思います。
平成9年を一言で表すと「ピーク」
そんな言葉が似合うようなデータが平成9年周辺にはあるようです。
平成9年は就業者数が最も多かった時のようです。団塊世代と呼ばれる方々が働き盛りであったためです。雇用者の平均賃金は今より15%ほど高かったとか。
小売販売額、出版物売上、国内新車販売台数は僕の同級生の大半が生まれた平成8年がピークなんだって。『週刊少年ジャンプ』は今の3倍くらい売れてたんだってさ。
生活保護受給者は、僕の一個上の先輩が生まれた平成7年に最低を記録しているらしく、そこから今は2倍以上に増えているんだそう。
僕が生まれた平成9年はものがたくさん売れて、働いている人も多くて、日本が「ものづくり」の国だったときってことのようです。
平成9年に生まれたばかりの僕もそんな雰囲気を感じていたんだろうか。
「ピーク」っていう風に自分の生まれた年を表現してしまうのは何か切ない感じがする。
いっぱい食べていっぱい寝ていっぱい泣いて、これからまだ見ぬ未来に向かって進んでいく赤ちゃんに今が世界のピークでこれからは下り坂でつらいよっていうのは何とも切ない。
「ターニングポイント」とでも言い換えるのがいいのかもしれない。
色んなことが絶頂でピークに見える平成9年も、見方を変えれば今とは違って窮屈なこともたくさんあったみたいです。
大量の労働者が高賃金を受け取る。たくさんつくられたものはみんなが高い賃金をもらっているから売れていく。そんないい循環で安定した雇用が約束されている。
男の人がそうやって高い賃金を得るようになれば、かつては厳しい環境で働いていた女性は専業主婦になっていく。
少し社会は今よりも画一的だったのかも。
大量生産される商品はそんなにバリエーションがあるわけではない。
働き方もそんなに多様ではない。
女性の選択肢も多くは無いし、子どもは受験競争、就職競争にさらされる。
(今もそんなに変わってなさそうなこともあるけど、今よりもっと激しかったのかな)
こないだお父さんお母さんとゆっくり話す機会があった。
お父さんお母さんが26歳の時に僕は生まれてきたらしい。
そう思うと、僕が26歳になるまであと4年くらいで、僕も真剣にこれからのことを考えようと思っていたから、お父さんお母さんが結婚した時代の話を聞いてみた。
お父さんお母さんは1970年あたりに生れている。
歴史を勉強してみると1970年周辺にも「ターニングポイント」があるように思えてくる。
1975年には専業主婦率がピークになっていたようです。
ちょうど団塊世代の人が出産する時期で、お父さんたちはいわゆる団塊ジュニア。
じゃあ、僕は団塊初孫とでも言うんだろうか。笑
1973年にはオイルショックがあって、日本は自動化に舵を切り、石油や人員のコストを削減していくようになったらしい。「ハイテクな日本」のスタート。
僕のお母さんは結婚するにあたって保育士を辞めてこだわりを持って専業主婦になることを決断し、僕や妹をこだわりをもって育ててくれたそうです。
平成9年に生まれた僕の奥さんは専業主婦になるんだろうか。
専業主婦を選べるんだろうかっていう現実的な問題がピークを越えしまっている平成9年生まれの僕らにはあるが、一方で、専業主婦だけではない多様な働き方や生き方を選べるのがターニングポイントを生きる平成9年生まれの僕らにはあるのかもしれない。
結局、お父さんお母さんも、僕らも、異なるターニングポイントを先行きの分からないなりに進んでいくことになる世代だっていうことなのかもしれない。
平成9年に生まれた運命を受け入れて、前向きにも後ろ向きにも転べる道を歩いていることを少しだけ自覚しながら、お母さんがそうだったようにこだわって決断していきたい。
平成くんありがとう。
参考文献:『社会を変えるには』(第1章)小熊英二
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