最近、大学からの卒業が近づいて何かと「今日が最後の〇〇」みたいな会話が行われる。
最後の散髪。最後のバイト先への出勤。最後の旅行。最後の飲み会、、、
なんとも切ない。
こうして別れと新たな出会いを繰り返しながら進んでいくのが人間ってやつなんだろう。
とはいえ、「最後の〇〇」の会話を積み重ねているとなんとなく不安定な気分になる。
最後って言わんでもええやん、と。
そんな不安定に移ろいゆく人との間で、変わらない、移ろいゆかない人間関係の尊さを再認識したりもする。
「最後の〇〇」って言葉は必要のない、また会えるを確信できる人。
それは奇跡的に素敵な関係。
時間が経とうと、流行が変わろうと、また会える、明日も明後日もどっかに行っちゃうことのない人。
「最後の〇〇」みたいな会話の無い、安定した状態だと、つい、その当たり前の関係が日常に同化して、その素敵さに気付かない日もあるけど。
世間にはたくさんの夫婦がいて、たくさんのカップルがいて、たくさんの親友関係があって、たくさんの家族があって。色んな愛情がある。
それすらも絶対、永遠、とは言えないのかもしれないけど。でも、帰ってこれそうな場所、関係は気持ちを安定させくれて、新しい日に足を踏み出す後押しをしてくれる。
そう思うと、なかなかいい世界な気もしないでもなく。
少しばかりあたたかな気分になれたりするような。
なんてことをぼそぼそと考えたりする、今日この頃。
お久しぶりのブログでした。
ばたばたしてるときほど、落ち着けることの尊さに気づくものですな。
やっぱり、ものごとにはどっちもないとダメね。どっちかじゃあ、物足りないし、しんどい。
裏表があることが豊かさのような気がする。
表と裏との間で揺らぎながら暮らいでゆきましょう。
と、まあ、脈略の無い文でしたが、今日はホワイトデー。
ホワイトデーって日本で生まれた文化らしく、消費を促すマーケティングのにおいもするけど、そんなことより、尊い関係性を再認識する機会は多くていいんじゃないか、なんて思って。
明日からも色んな感情に揺らぎながら暮らいでゆこう。
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