4月も21日目が終わりかけている。
生活リズムにもかなり慣れて、日常ができあがりつつある。
僕の周囲には同じ年齢でも僕より早く学生を終えて社会人になった人がいる。
高校を卒業して社会人になった人も、短大を卒業して社会人になった人も。
社会人になるとお休みの日と仕事の日が結構明確に別れている。
大学生の時は平日も休みみたいな感じだった気がするし、逆に休みの日も活動的で平日のようだったり、平日と休日の境界線は曖昧だった。
先に社会人になった友達は毎日忙しそうだったり、次の平日を迎えることが憂鬱そうだったり、それでも世の中にとって必要な仕事をしている姿がかっこよかったりした。
だから、仕事に向かうスタンスに対してこれが理想的とか、こんな働き方は良くないとかって言うことにはあまり意味がないように思えた。毎日きらきらしてることも、平日憂鬱で布団から出たくない自分を起こして週末2日間のために頑張ることも、どちらもいいじゃないかと。
実際に僕も5日間の平日と2日間の休日の線がはっきり見える空間に放り出された。
すると、やはり休日はいいものだなと。(平日もとても充実しています)
朝はほっぺたの髭だけ剃って、あとの髭はほったらかしにして。
溜まった洗濯物を洗濯機に入れて、その間30分本を読んで、洗濯機が止まったらいい天気の下に干して。また本を読んで。お昼ご飯作って。昼から少し出かけて。夜は友達とお酒を呑んで。
お金を生むような生産的なことは特にしていない。
平日の生産活動と休日の非生産的な活動(休日も尺度を変えればとても生産的だが)はどちらも必要だと思う。平日があるから休日が楽しいし、休日があるから平日を走れる。
生産的な活動はどうしてもお金を尺度にした価値基準が支配的。
これは悪いことではなく世の中を上手く嚙み合わせるための人類の偉大な発明。
でも、お金で嚙み合わせるだけではギスギスすることもある。
お金で測ると、そのお金以上のこととか、お金の価値基準では測れないはみ出す部分のことをやりずらくなる。やりたくなくなりそうになる(?)
だから非生産的な休日で、お金からはみ出ることが支配的な空間に自分をほりこんで、大事なことを思い出す。そして、平日も少しはみだしてみようとかって思う。
働くことは人類の偉大な発明。みんながより気持ちよく、より豊かに暮らすための偉大な発明。
お金は人類の偉大な発明。働くこと、働き合うことを噛み合わせる偉大な発明。
休日は人類の偉大な発明。働いて、お金を交換することを支えたり、働いてお金を交換することだけではもやもやしてくる何かをちゃんと消化させる偉大な発明。
明日は剃り残した髭を剃る。
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