去年の昨日「今日について」というブログを書いた。
さっきまで今日だった日も、ビールを飲みながらブログを書いている今この瞬間の1時間ほど前に昨日になった。
昨日は相変わらず特別な日であるという意識がある。とはいえ、昨日の僕に特別なことは何一つとしてない。いつも通り8時前にに起きてシャワーを浴びた。違ったことといえば、どうしても9時までに送らなきゃいけないメールがあっていつもより20分早く家を出たくらいだ。
去年の昨日と今年の昨日との違いはというと、去年の昨日は神戸に住んでいたけれど、今年の昨日は東京に住んでいる。今年の今日も東京に住んでいる。
でも、神戸に住んでいようと、東京に住んでいようと昨日は特別な日。
25年前の昨日、僕のお父さんは淡路島で中学校の体育の先生をしていた。
この年末、久しぶりに家族旅行に出かけた我が家の旅行先の一つも淡路島だった。25年前の昨日の淡路島、25年前の今日の淡路島はどんなだったのだろうか。神戸はどんなだったのだろうか。
25年前淡路島でお父さんが住んでいたアパートは25年経った今も当時のまま残っていた。旅行の道中この目で確認した。遠距離恋愛中の彼女だったお母さんは変わっていないと言っていた。
新任で体育の先生になったお父さんと同期のサワノ君は新築のアパートに住んだらしい。当時の教育長さんが「新任の子にちゃんといい家に住ませたれ」と言ってくれたおかげでお父さんと同期のサワノ君は新築のアパートに住んだらしい。新築のアパートは大震災に耐えた。
ブラウン管が部屋の中を飛んだけど、お父さんもサワノ君も無事だった。
当時の教育長の言葉がなければ、今日僕は生きていないかもしれない。自分の命は家族のおかげでここにある。それだけではなくて、いろんな人のいろんな言葉に導かれてここにあるんだろう。
昨日の誰かの言葉で今日の僕があるんだろう。
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