小学6年生の僕は町長に手紙を出した

小学生のとき僕の学校には車椅子の先生がいた。理科の先生。その先生は階段移動ができず、1階の職員室から2階の理科室へ移動するときは給食のコンテナを運ぶエレベーター(リフトって呼ぶ方が正しいかも)に乗っていた。そのエレベーターは、あくまで給食のコンテナを運ぶためのもので、人の移動のためのものではない。照明もついていないそのエレベーターは、寒くて暗くて、小学校6年生の僕にはとても乗って移動できるものには見えず、怖い空間に思えた。


なんで小学校にエレベーターをつけないんだろう。小学6年生の僕はそう思った。エレベーターがあれば、車椅子の先生は安心して移動できる。そんなアイデアを担任の先生は「うんうん」と聞いてくれて、「エレベーターがあったら車椅子の先生だけじゃなく参観日に来る妊婦のお母さんも安心だね」と言ってくれた。僕は絶対に小学校にエレベーターをつけるべきだと思った。


ある日、家のこたつでテレビを観ていたとき、こたつの上にあった町の広報誌が目に入った。その広報誌は裏面を向いていて、そこには「町政へのご意見をお寄せください」とハガキがついていた。


それを見て、思い立った。町にお手紙を出せばいいんだ。僕の小学校は町立の小学校だったし、小学校にエレベーターをつけるのは町の仕事だろうと小学6年生にもなればなんとなく分かっていた。


そして、ハガキに「小学校に車椅子の先生がいること」「その先生は給食のコンテナを運ぶエレベーターで移動していること」「小学校にエレベーターをつけてほしいこと」「エレベーターができたら妊婦のお母さんも安心して学校に来れるようになること」を書いて投函した。


それからしばらく経って、町役場からお手紙が返ってきた。町の茶封筒に自分の名前が宛名として書かれていて、返事が返ってきたことが嬉しくて、すぐに開けたのを覚えている。


手紙には当時の町長の名前でお返事が書いてあった。今思えば、もしかするとその手紙は担当課の職員さんが作ったものかもしれないけど、当時は町長から返事が返ってきたことがとにかく嬉しかった。


お返事には「エレベーターの設置はずっと検討している課題であること」「結論として現状設置する予定はないこと」「でも、代替案として車椅子の人が移動できる階段昇降機の設置を進めていること」「校舎内には妊婦の方も休める椅子を設置していること」などが書かれていた。エレベーターをつけることができないという結論には、少しがっかりしたけど、僕の提案を受け止めた上で丁寧に現状を説明してくれたことで、納得したような気持ちになった。


その年のクリスマス、サンタさんからの手紙には「車椅子の先生のことを考えて、お手紙を出した行動は偉かったぞ」と書いてあった(当時はもう我が家でサンタさん信者は弟くらいだったかもしれないけど、褒められたことがとっても嬉しかったのを覚えている)




この一連の経験、今でも鮮明に記憶に焼き付いている。


僕は高校を卒業して、将来の夢を地元の町長になることに設定した。そのことを面白がってくれる地域の大人たちと繋がって、その後学生団体を作ったり、謎に行動的に過ごしてきた。今でも町長になることは密やかな目標だ。


こないだ「社会参加」について考える勉強会的な機会に参加した。「どうしたら市民の社会参加は進むのか」みたいなテーマ。僕は謎に社会参加してきたタイプである自覚があったから、「なんで僕という市民の社会参加は進んだのか」とテーマを置き換えて考えていた。そのときに、この小学校6年生の冬の出来事を思い出した。




「社会参加」「若者の政治参加」そんなテーマを大人たちはよく口にする。そのテーマの本質は、18歳選挙権にあるものでもなければ、世代間格差にあるものでも、政治不信にあるものでもないと思う。「社会参加」と言葉にしてしまうとなんだか一気に自分の手の中から何かがこぼれ落ちるような遠い言葉のような気してしまうけれど、社会は「小学6年生にとっての車椅子の先生との出会い」であり「中学2年生にとっての校則」であり「高校3年生にとっての恋愛」であり、生まれてから常にそばにあるテーマひとつひとつだと思う。その当事者がそのテーマについて思うこと、それを少しだけ自分以外の誰かとも共有できるものにするサポートをすること、そしてそれを解決に向かわせるための武器としての仕組みを教えること、が大切なことなんじゃないかと思う。


小学6年生の僕に担任の先生が教えてくれた「それは車椅子の人だけじゃなくお腹に赤ちゃんがいるお母さんの助けにもなるよ」という声かけ、町に手紙を送れる仕組みがあってそれを使えば解決するかもしれないという気づき、手紙を出すというアクションに対してきちんと大人の作法で丁寧に対応してくれた町、「偉いぞ」と褒めてくれるサンタさん。これが「社会参加」に必要な全てで、この当たり前をすっ飛ばして「社会参加だ」「若者の政治参加だ」と言いたくないし、言われたくない。


小学校6年生の冬に、担任の先生がしてくれたこと、町役場がしてくれたこと、サンタさんがしてくれたこと。それを当たり前にできるような大人になりたいと思うわけです。

山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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