「ふるさと教育」って何だろう

こんにちは。山本修太郎です。


今日は題名にもしている「ふるさと教育」に関して書いてみようと思います。


このテーマを選んでみた背景には、前々から「ふるさと教育」という言葉の定義が少しぼんやりとしていて僕自身そのことによって意見を持ちづらいなと感じていたことがあります。1週間ほど前に書いた「コミュニティという曖昧な言葉について」というブログに続く言葉の定義をしてみようシリーズですね。


さらに、加えて、このテーマを選んだ背景としては、先週参加した北近畿ワカモノ会議や、昨日もあるミーティングに参加したんですが、その中でも地方の教育分野における選択肢の少なさやキャリア教育などに関わる話が出ていて、ここで改めて考えてみようと思ったというのもあります。




僕がふるさと教育という言葉を聞いた最初は、おそらく地元の町報か、議会の何らかの発信だったかなと思います。もしかしたらそれまでにも耳にする場面はあったのかもしれませんが、僕のアンテナに引っかかるようになったのはここ2~3年くらいだと思います。


でも、おそらくそれより前からこの言葉自体は存在していたと思っていて、僕自身もしかすると「ふるさと教育」の何らかの恩恵を受けているのかもしれません。


ちなみに、今日考えようとしているのは町の行政としてどんな施策をするべきかとかそういう話ではなく、もっと広く、そもそもふるさと教育ってなぜ必要なのかとか、その言葉の指すところを考えたときに、こんなこともふるさと教育に含まれるのかな、とか、そんな感じのことです。


(ふるさと教育に一石投じたくて書いているというより、こういう議論をほかの人ともしてみたいな、的なテンションです)




さっそく結論めいた感じですが、僕は、ふるさと教育というものを、「自分の偶然に意味付けをしていくこと」なのではないかなと解釈しています。


その解釈に従って僕のこれまでの20年少しを振り返ると、必ずしも学校の中でとは限りませんが、ふるさと教育をしてもらったのかもしれないです。


ふるさと教育という言葉からはなんとなく地元愛を育むことのようなイメージが連想されますが、必ずしもそうではないのかなと僕は思っていて。


ふるさと教育の結果として、地元愛に溢れた人がたくさんいる世界が作られることはいいことのように思える反面、その教育の結果、地元から離れた場所で生きようという意思決定が生まれてもいいと思います。むしろそれは自然なことだし。


30人の集団に対して30人が「地元大好きで将来帰ってきたい」と感じる状態というよりは、「30人いれば30通りの解釈が生まれること」が自然なのかなと思っている感じです。


ただ、それだけではあえて「ふるさと教育」という言葉を付ける意味はなくて、ただ総合みたいな科目の時間に進路指導的なことをすることで代替できそうな気もします。


そこで、僕が思っていることが、この場所に生まれ落ちたことの偶然性に自分で意味付けをしていくという要素が「ふるさと教育」という言葉を選ぶことの本質なのかなと思うわけです。


生れる場所は選べないし、ときに何でここに生まれたのかを考えることが僕にはありました。カンボジアに行ってカンボジアの子どもと友達になると、何も僕とその子たちの間に違いはないと思えてきて、違いはどの環境に最初に生まれたかの違いだけだなって。


日本の中だけで考えてみても、田舎と都市を比較したときに高校進学時点での学校の選択肢の少なさが気になることがあります。事実、よくそんな話題に大学の友人や塾の講師間で話題になることがあって、場所の違いでこんな状況って違うのかと考えさせられます。


でも、僕はほとんど唯一の選択肢だったと言っても過言ではない高校に進学したことに後悔はしていなくて、むしろ最高の選択をしたと考えています。


それは、そこに意味付けをしていったからだと思うし、その意味付けをサポートしてくれる先生や家族や周囲の人がいたからだと。


カンボジアに生まれることがいいのか、日本に生まれることがいいのか、都市に生まれることがいいのか、田舎に生まれることがいいのか。そんなことは分からないし、考えてもあまり意味がないかもしれません。


でも、少なくともその変えられない運命をプラスのエネルギーに変えて生きられる方がハッピーかなとは思います。


そんな風にその場所に生まれたという変えられない運命に一人一人が意味付けをして、変えられる未来をデザインしていく。そのために地元にある教材はたくさん提供するし、反対に都会でしか考えることのできないことも教材として提供していく。


(さすがに、その町のことだけを教えて井の中の蛙的に、比較することなしに解釈したり考えることは難しいなと感じる部分もあるし、メディアの偏向報道を批判するのと同じような観点で、偏りなくいろんな情報から考えられるといいなと思います)


そんな教材として、まちの色んな人にインタビューに行っている「しとしと」も活用されると嬉しいなとか思いつつ、僕自身もまだまだふるさと教育の途上にいると感じ、学んでいきたいなと思います。

山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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