学校で習ったことなんて将来使わない?

こんにちは。山本修太郎です。


今日は「学校で習ったことなんて将来使うことがない」みたいな論争について考えを書いてみようと思います。論争ってほど大したことではないのかもしれないけど。


僕はこの土日も地元に帰っていて、インタビューに出かけたり、芋煮会に参加したりと楽しい時間を過ごしたのですが、帰る間際に弟を交えて駅まで歩いているときに、この論争が一瞬話題になりました。この話に関しては色んな大人が回答しているし、十人いれば十通りの回答があるような面白いテーマだと僕は思っています。


今日テーマにしているのは僕が今いる大学での学びももちろんそうですが、どちらかというと弟の疑問に答えるつもりで、高校の頃の自分を思い出しながら、高校までの学校教育的な部分をイメージして書こうと思っています。ただ、多分僕自身明確な回答があるわけではないので、難しいテーマだなと悩みのプロセスをつづる内容になります。そして、みんなはどんな風に考えるんだろうなみたいなことも聞いてみたい気がします。



弟は「高校の勉強は役に立たない、日本で生活する以上、四則計算と日本語が出来れば何も問題はなくて、よくわからん数学なんか使わない」的なことを主張していて、この手の主張は僕も塾講師を4年もしていればよく中高生に訴えられます。笑


そして、僕も高校の頃数学が得意ではなかったので、数学でつまずくと同じように考えていた記憶もあります。


この主張に対して一つ考えられる回答としては将来世界はもっとグローバル化するし、日本人ではない人とも仕事をしなければならないんだ、だから英語は学ぶ必要がある、みたいな回答がぱっと浮かびますが、これにはあまり僕は共感できないタイプです。


というのは、論理的には理解できるけど、感情的にそれを言われたからといってやる気になるかは別問題だと思うからです。おそらく高校生の頃の僕も、それを言われると消化不良みたいな感じになっていたと思います。


さらには、百歩譲って英語の必要性は理解できても、それ以外の科目に関してはいまだに解消されない不必要論が頭に居座り続けることになる。


それでも、他の科目一つ一つに必要だという根拠を示していくことは可能であると思います。数学は論理的に考える力を身につけないといけないから、その練習として色んな問題に取り組んでいるんだよ的なこととか。


でも、もっとシンプルに、高校生の頃の僕もおそらく僕の弟も、この手の回答ではいつも将来の世界が生きにくそうなサバイバル感に満ちた世界観がある感じがしていて、もう大人になんてなりたくないよ、ってなる。笑



もう、それならばと、このもやもやを抱えた状態のままで、それでもひとまず高い目標を設定させて、受験を勝ち抜くゲームの様相で、勉強しまくって敵を倒してクリアに近づいていく快感みたいな方に、勉強の意味付けは置いておいて導くという力技も、この主張への対処法としては存在している気がしていて。これはこれで、結局その回答からは逃げていることになるので、今回のブログの趣旨的には賛成しづらい感じがあります。


ちなみに、僕はこの力技の対処で高校時代を乗り切った部分も少なからずある気がします。この対処の場合、受験が終わると燃え尽きます。笑


(高校生の頃の僕は、彼女のお母さんからの社会的信頼性の獲得のために有名国公立大学に合格しようという何とも言えないモチベーションで勉強していた側面もあって、かなりゲーム感は強い感じだった。結局、彼女のお母さんの信頼を獲得できたのかは不明。笑)



じゃあ、どうすれば。。。



分からない。笑



弟よ、兄にもよく分かんないんだよ。笑



でも、「学校で習ったことなんて将来使うことがない」ということを、それを言い放つだけで終わるのではなく、その主張はなぜ生まれたのかとか、本気でその主張を持って大人を論破しようとするくらいまでアホに考えを巡らせてみることとか、勉強じゃない部分で自分磨きをすることに力を注ぐこととか、その後の姿勢が大事な気はする。


「学校で習ったことは将来使うことがない」という言葉を言うことがプラスのエネルギーになることもあるし、マイナスのエネルギーにあることもあると思う。それをプラスのエネルギーに変えられるならその主張は言い放っていく価値はあると思う。


実際に僕は高校の時は、その疑問へのエネルギーに蓋をして別の部分にモチベーションを作って頑張ったけど、大学に入ってからは経済学ってマジで正しいのかよ、とか、これどこで役立つんだよみたいなことを感じて、それを言い放ちながら考えて実験をしてきている節もある。


まあ、そうやって思考錯誤する中で、もしかしたら、意外と社会とか数学の重要性に気付くかもしれないし、残念ながら気づかないかもしれないけど、それもこれも通ってみないと分からないわけだし、嫌いという感情を持てないと何も比較すらできないわけだから、点数悪くてもやってたからこそ得られた気づきとか感情として、参加賞的に受け取ればいいんじゃないかな。


がんばれ弟。


そして、弟に、あなたの言葉でそれを学ぶ意味、それをあなたが教えている意味を伝えてあげてください、先生。




山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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