こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。
今日は、タイトルの通りなんですが、「キウイの作り手になるために修行を始めたよ」という報告です。
何だそれは?って感じだと思うんですが。笑
文字通りです。キウイ作りを学ぶためにおばあちゃんのもとで修業を始めました。笑
どこから書き始めるか迷うところですが、まずは師匠のおばあちゃんの紹介からすることにします。
僕は毎月1回は地元である香美町に帰っていますが、そこにおばあちゃんの家があります。
子どものころからお盆とお正月にはおばあちゃんの家に泊まりに行っていて僕にとってはとても身近な存在です。
もともと僕のおばあちゃんとおじいちゃんは梨農家をしていました。
(幼いころはおばあちゃんのことを「梨ばあちゃん」と呼んでいた)
おじいちゃんは梨作りの名人だったらしく、その技術を県から表彰を受けたりしていたそうですが、僕が小学生の頃に亡くなってしまいました。
それに伴って、おばあちゃんは一人で梨作りを続けられなくなってしまい、梨の木も伐ってしまったそうです。
梨の木は生産しなくなっても虫が寄ってきたりして他の農家の方に迷惑がかかり、置いておけないそうです。
僕は小学生のころは特に何も考えていませんでしたが、大学生になって地域のことに興味を持つようになって、梨の木が無くなってしまったことの大きさを考えるようになりました。
でも、もったいないなとか、そんなことを考えるのは当事者でない人間の論理であったりもするわけで。当事者からすると、急な斜面での重労働、交配から消毒・袋かけ・剪定・収穫・箱詰めまで多岐に渡る行程の大変さは想像を絶するもので、高齢になった当事者には辛いもの。さらには経済性という観点からも継続が困難になってしまったということ。
ただ、おばあちゃんは高齢になった今も梨山だった場所を耕して畑にして、白菜・ピーマン・ゴーヤ・ナス・玉ねぎ・じゃがいもなど多くの野菜を栽培していました。
野菜以外にもシイタケやブドウ、ミカンなども梨山にコツコツと栽培を続けていて、その品目の多さや長年の経験で蓄えられた知恵には驚かされます。
僕は、そのおばあちゃんの自分の手でものを生産できる姿に感動して、尊敬しています。
そんな梨山で目にしたのがキウイの木。
子どもの頃から梨ばかり見ていて、僕はその存在に目もくれずにいましたが、30年以上前から存在している木らしい。
おばあちゃんに聞くと、梨農家だったおじいちゃんが、梨以外に残せるものがないからと言って、梨山の余白に木を植えたらしい。
それをおばあちゃんが大事に交配を続けて毎年収穫を続けているそう。
でも、なかなか斜面が急で、交配も高い場所などは困難になってきているらしく。しかも、キウイの量も僕の想像を遥かに超える量。
思わずおばあちゃんに「これキウイ農家やん」って言ってしまったほど。
おばあちゃんは「そんなに無いわ」って笑っていた。
そんなやり取りがあって、僕はキウイ作りのノウハウを覚えたいなと思った。自分の手で出来ることを増やしたいという欲求もあったし、おばあちゃんの手伝いにもなればいいなと思った。
世の中が便利になるにしたがって、自分の手で何かを作る経験は少なくなっていく。でも、自分の手で出来ることをたくさん持っているおばあちゃんはとてもカッコよく見えたし、そんな生き方にしなやかさを感じた。
梨山におばあちゃんに会いに一緒に行っていた彼女とも同じような考えを共有し、来月の収穫から関わろうと二人で決めて、それから1ヶ月が経ち、収穫に行ったのが今週末の話。
キウイ農家としての修行開始。 pic.twitter.com/Y9043Jx6fN
— 山本 修太郎 (@shutaro_same) November 11, 2018
実際に収穫を手伝ってみると、その大変さが身に染みて分かる。急な斜面から滑り落ちるという華々しいデビューに笑われつつ、おばあちゃん凄すぎだろって感じた。
収穫を終えると。。。
5カゴ収穫、修行初日終了!
— 山本 修太郎 (@shutaro_same) November 11, 2018
次は春に交配を学びに行く。おばあちゃん師匠よろしくです! pic.twitter.com/sTfpPikw1G
やっぱり、これキウイ農家の量やん。笑
気持ちのいい達成感と、次は春に交配を学びに来ようという決意が僕と彼女の間に芽生えました。
地域から消えていくものを残していくことの意義などについて考え、「しとしと」というプロジェクトを始めた側面がありますが、僕自身が当事者、プレイヤーでありながら、そのようなことを考えていくことに意義があるはずだとも思うし、その部分を知って取り組むのと、知らずに取り組むのとでは見え方も変わってくるような気がしました。
てことで、キウイの作り手になるための修行は続きます!!笑
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