「怪傑えみちゃんねる」から考える

こんにちは。山本修太郎(@shutaro_same)です。


おかしなタイトルをつけています。おかしなタイトルに惹かれて読んでくれている方、ありがとうございます。


今日は『えみちゃんねるから考える』というタイトルで、人間や人間の感情についてっていう深げなテーマを考察してみようと思っています。笑


では、参ります。





週末M-1グランプリがあって、ここ数日はその話題が多いですね。


僕もお笑い好きなので、観ました。個人的にはマジカルラブリーとか三四郎とかが好きなので、その辺が敗者復活から上がってくるとを期待してたんですが、残念ながらそうはなりませんでした。


でも、大会としてはすごく面白くて、凄く満足感がありました。


そんな中、番組終了後、審査員を務めた上沼恵美子さん関連の話題をよく見ます。


そのジャッジに疑問を持つ視聴者のツイートとか、出演者からそのジャッジに不満を示すSNSでの発信とか。


たしかに、審査中に他の審査員の人よりも個人的な感情に関する発言が多かったように感じる部分もあったけど、まあ、おもしろいとかおもしろくないとかって個人的な感情だしなぁとか、答えの無いことを考えつつ、僕も観ていた節があります。


この辺の議論には、本当に答えが無いと思うので、そこを深く掘り下げることは今日はやめておいて。


今日は上沼さんが司会を務める怪傑えみちゃんねるという番組について書きつつ、この問題について考えてみようということです。


怪傑えみちゃんねるは関西テレビで毎週金曜の19時からしている1時間のトーク番組です。





上沼さんの漫才師としての現役時代を僕は知らない。むしろ上沼さんと言えば子供のころからこの番組の司会者というイメージがある。

(おしゃべりクッキングの人というイメージもある)



子どものころは金曜19時と言えば、ドラえもん。



ドラえもんを差し置いて、えみちゃんねるを観ているおばあちゃんにしばしば疑問を持ったものです。


何でドラえもんよりえみちゃんなん?って。



でも、こないだふと金曜日の夜にテレビをつけると、えみちゃんねるをしていた。


特に観たい番組があったわけではなく、部屋に音がほしいくらいのテンションでテレビをつけただけだったので、そのままえみちゃんねるのまま置いておいた。


すると、みるみるうちにテレビ画面に惹きつけられて爆笑まではいかないまでも、慢性的に笑っている自分がいました。


えみちゃんねるおもしろい。


これは僕が大人の階段を昇ったからなのか。


上沼さんのトーク力とか視野の広さとか、ひな壇の芸人さんやゲストの方を活かして面白くする感じに感動。


適度にぼけて、適度にツッコんで。


漫才してるところ観てみたいなぁってなってる自分がいる。





そんなことがありながらM-1を観てると、審査員として嫌いとか好きとか言ってるのも上沼さんのいじり方というか、コミュニケーションというか、そんなものかなと思えてきて。


上沼さんは審査員からの引退を表明されたらしいですが、少し残念な気持ちになりました。



結局何が言いたいのかというと、人に苛立ったり、不快に思ったりしたときに、その瞬間以外のその人を知ろうとすることって必要なことなのかもなということ。


その瞬間のその人は本当に一部分かもしれない。


その人の日常の姿を知ろうとしてみることも必要なのかもなって。


(上沼さんにとっての日常がえみちゃんねるで非日常がM-1であるかは分かんないけど。笑)



それで言うと、最近はテレビでコメンテーターとしても活躍されている社会学者の古市さんもよく炎上したりしてるけど、古市さんの本を何冊も読んでいると、叩く気にはならなくなったり。笑



結論は、人のことを決めつけてしまわずに多面的に見てみようよみたいなどこかありきたりなことのようになってしまいましたが、ありきたりなことも大事ですよね。


ひとまず、関西の人はえみちゃんねる観てみましょう。



それじゃあ今日はここまで。




山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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