今日、夕日が差し込む食堂の窓際の席で、ふと思い出したシーン。
僕の21年間の中でもかなり好きな時間だった。
ふと思い出した。
僕は中学1年生から高校3年まで6年間陸上部だった。正式には小学校5年生から陸上の大会に出ていたから8年間陸上部だったのかもしれない。
中学校の卒業文集には3年間続けた朝練についてだけで原稿のすべてを書いた。
3年間の思い出を振り返ることなく、なぜか3年間続けた朝練だけに絞って文集を書いた。
中学校の時は大会に出かけるときは先生や親の車で移動していた。
でも、高校になると友達や先輩、後輩と汽車の乗って大会に出かけるようになった。
ちょっとした小旅行くらいのテンションだったとか、書こうかと思ったけど、行きは大会に向けてイメージをしたり、好きな音楽を聴いて集中力を高めようとしたりしていたからそんなテンションではなかった。
一応、高校生の僕はちゃんとしたアスリートの振る舞いをしていたつもり。中学の僕もそうだった。
6年間炭酸飲料は飲まないようにしていたし、朝練は高校になってももくもくと続けた。
行きはそんなこんなで少し緊張感を持って汽車に揺られるが、帰りは違う。
帰りは友達とひたすらふざけ続けて、爆笑する。
大会が終わった心地よい解放感と疲労感で、頭の中のリミッターが外れたかのようにボケまくり、ツッコみまくり、笑いまくる。
部活の友達が好きで、その時間はかなり至福。あっというまの45分間くらい。
車窓からはたいてい夕日が差し込んでいて、爆笑の波が少し引くと、眠気がわずかにやってくる。それがまた気持ちいい。
あの時間ほんとに好きだった。
部活が終わるとき結構悲しくて、少し泣いた気がするけど、帰りの汽車のあの時間が無くなることが結構本当に寂しかった記憶がある。
あー、あの時間もう来ないんかぁ。みたいな。
最初にも言った通りこの時間が、僕の21年間の中でもかなり好きな時間だった。
僕の21年間の思い出のハイライトの結構な尺をこんな日常に使う僕は、中学校3年間のハイライトのすべてに朝練の話を費やしたあの頃からあまり変わっていないらしい。
僕のハイライトは日常にある。なかなかいいですな。
今週も1週間お疲れ様でした。日常。
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