めがね

眼鏡を買った。


高校3年生ぶりの眼鏡。


子どものころから目はいい方だった気がする。


小学校までは野球をやってて動体視力も良かったんだと思う。


小中学校までは規則正しい生活をしていて、睡眠はたくさん取っていたし、テレビは大好きだったけど、テレビゲームはしていなかった。


視力検査はいつもA。Aって確か1.0~1.5あたり。


でも、高校3年生の秋ごろ突如視力検査に引っかかった。


病院で再検査をすると0.2。


急激な受験勉強のせいだったと思われる。


高校3年生の僕は今振り返ると何かにとらわれたかのように、毎日膨大な情報量を目に流し込んでいたんだと思う。


それで目がパンクした。


眼科で視力検査をすると、目のピント調節の機能が上手く働いていないと言われ、薬である程度はそれを回復させられて、視力も少し回復すると言われた。


そこから人生初めての眼鏡をつくりに家の近くの眼鏡屋さんに行き、眼鏡を作り、眼科からもらった目薬を差す生活が始まる。

(コンタクトレンズは嫌だった。目に異物を入れることへの恐怖が尋常ではなかった。)


眼鏡は最初こそ違和感があったものの、徐々に慣れ、途中からは眼鏡をかけてる方が落ち着くような感じになっていった。


目薬の効果もあって、視力は0.6くらいまで回復した。


そんなこんなで高校を卒業し、大学に入って、すぐに眼鏡を無くした。


すぐに買い換えれば良かったんだけど、面倒だったのと眼鏡に高価なイメージがあったのと、0.6まで視力が回復すると結構見えるっていうのもあって、眼鏡は買わずに裸眼で過ごすようになった。


今考えてみればこの眼鏡を無くすという出来事は、これから君は高校3年生の時ほど狂ったように目に毎日膨大な情報を流し込むことはないよという神のお告げだったのかもしれない。


たしかに、この後、僕はあまり膨大な情報を目に流し込むことは無くなり、授業で前の方の席に座らないといけないという代償以外に特に困ったことも無く過ごしていた。


最近、免許を取りに教習に行き、教習を無事に終了した。


教習所に入るときに視力検査があったんだけど、ギリギリ(まあ半分教習所のお姉さんのお情けみたいなところもあるが)両目が0.4で裸眼で運転できるということになった。


でも、実際に道路を走ってみると0.4という視力の頼りなさが浮き彫りになった。


標識が近くになるまでなかなか判断できないとか、夜の運転が相当不安とか。


そこで、高校3年生ぶりに眼鏡を作ることを決意。


先日眼鏡を買った。


高校3年生の時より、眼鏡が似合う顔になった気がした。

(自分で言うことではないが。笑)


一方で、眼鏡が似合う顔になったというのは、おじさんになったということを意味している可能性もある。


眼鏡をかけてみると、日常自分が見ていた景色がどれだけぼんやりしていたのかが分かる。


眼鏡を考えて人はすごいなと思う。


眼鏡をかけることで、高橋優に近づいた気もして少しうれしい。この辺は高校3年生の時から変わっていない。


日常の中でぼんやりと見ていることにもたまには心に眼鏡をかけて見直してみようと思う。


お後がよろしいようで(よろしいんだか)


以上。












山本修太郎

山本修太郎のブログやら普段やっている活動に関して発信するためのページ。

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