僕の興味:公共に関する話


こんにちは。


山本修太郎(@shutaro_same)です。


月曜日に書いた「僕らの武道館フェスという企みの先に」というブログたくさんの方に読んでいただけたようで嬉しいです。



今日はそのブログに関連するような話で、僕が2018年の途中から興味を持ってる公共(public)の話を書こうと思っています。


難しげなことを出来るだけ簡単な僕の言葉で書きつつ、最後は僕フェスの話と結びつけて着地させようと思っています。が、エッセイ調のブログが好みの方のお口に合うかは分かりません。かなり長いし、お堅めの文体になっちゃうし、僕の備忘録的な側面もあります。お暇で興味があればぜひ読んでみてくださいってな感じです。




そもそも僕が公共に興味を持ち始めたきっかけは、大学に入ってしばらくたってから地元に興味が向くようになって、そこから派生してコミュニティの再生のような社会的なテーマがあることを何となく知っていったことにあります。


コミュニティ(community)という言葉と公共(public)という言葉はかなり違った意味を持ちます。


コミュニティは本来何か目的があるところに人が集まって形成される色の濃い、ある意味で排他的な場所と言っていいものかもしれません。


一方で公共は誰でもアクセス可能なみんなを受け入れる、線引きの無い場所と言っていいのではないかと思います。


何となく以前の僕はこれをごちゃごちゃに混同していて、それに気づいたときに勉強不足を実感すると同時に、僕が興味あるのコミュニティじゃなくてパブリックの方なのでは?と思い始めるようになりました。


今考えてみると、おそらく僕はどちらにも興味があるし、その間にも興味があります。


話を戻すと、公共というものについては社会的にも関心が高まっているらしく。本屋さんに行くと公共と名の付く本を結構目にします。「新しい公共」みたいなワードも本のタイトルでは結構目にしますね。


このあたりから、社会で議論されているのは、これまでの公共のあり方を見直して、新たな形を模索しようみたいな方向性が見えますね。


では、ここからは何で公共にまつわる話が活発になっているのかを考えてみます。


公共をめぐる議論が活発化したことの背景には、1990 年代以降「公」的なことがら(つまり、みんなに関わること)を実現する主体の変化が顕在化してきたこと、また、そもそも「公」的なことがらそのもの自体が多様化・個別化してきたことがあると考えられます。 


従来、不特定多数の人に関わるような公的なことがらを実現するのは国や地方自治体などの公的部門であるという図式が当然視されてきました。これは近代以降続いてきた見方のようです。このような見方が誕生したのは身分制のような中世の秩序が崩壊し、人間がばらばらに、自由に、なっていく中で、個々人の契約によって国家(社会)をつくるのだという考え方のもと、 不特定多数の個人に関わることについては国や自治体がその役割を担うようになったためであると考えられます。


中学や高校の社会で習う社会契約説みたいなやつです。


一方で、このような不特定多数の人に関わるような公的なことがらを実現するのは国や地方自治体であるという考え方は、不特定多数の人が同じような問題に直面していたり、多数の人が共通する社会像を共有出来ているような状態であることが機能することの条件であるとみることも出来ます。


1990 年代を見てみると、ちょうどこのあたりを境にして多数の人が、共通する社会像を共有できなくなってきていることが分かり ます。1960 年代から 80 年代まで日本は一億総中流の時代と呼ばれ、経済は右肩上がりに 成長を続けましたが、1990 年代になると、円高などによって経済が低迷に入ります。


90 年代以降日本では一億総中流と呼ばれた状況から変化し、中間層が没落、社会の中で二極化が進んだそうです。ちょうどこの辺が僕が生まれた頃かな。


みんなが中間層という状態なら国家が実現すべき価値も明確なのですが、このように社会の中に状況の違う人がともに存在している状態では国家として実現すべき価値が見えづらくなります。


また、経済の不安定化は財政を圧迫し、公的部門の活動は 縮小せざるを得なくなります。


このような状況の中、1995 年に発生した阪神淡路大震災はこれまで自治体が担ってき たことがらをボランティアが担う契機となり、公共に関する議論を活発化させた。


ざっくりというとそんな感じかな。


このような流れの中で、公共に関わって考えることは2点ほどありそう。


一つ目は、公共圏(みんなで議論する場)を形成する個人が多様化している中で、いかにして話し合い、いかにして最終的な特定の価値を形作っていくかということ。


これまではみんなが同じような考え方で通ったから、みんなで議論する場(例えば国会)で道路をつくろうとか働き方をこうしようとか最終的な特定の価値をつくりやすかった。でも、今はそれがやりにくいということ。


二つ目は公共圏で了解された価値を実現する主体としてこれまでその役割を担ってきた国家や地方自治体に限界があることが明らかな中でどのようにその価値を実現していくかということ。


この二点が考えなきゃいけないことだと思う理由は明白で、前半で書いた通りこの二点が公共に関する議論の必要性を生む背景になっているからです。  


経済が伸びていて、生活様式も同質的な一億総中流の時代の日本のような社会であれば、 労働者は賃金がさらに上がって豊かになるように労働政党を支持し、企業主は保守政党を支持するという構図も実現し、国家や自治体はそれぞれの価値を捉え、政策実行できますが、 個人が多様化すると、自分の意見が代表されているという状況の方がむしろ珍しくなります。


日本のように特に「公」が力を持ってきた歴史の蓄積がある社会では、尚更社会についての議論に参加しずらく、参加する意欲が減退する可能性もありますし、多数決で過半数だからといってそれが公共圏で了解された価値であるとは言えない可能性も高いと考えられます。


※日本では「公」(おおやけ)は天皇という意味を持ってきていて、「公」はみんなが排除されずに議論する場所っていうイメージが持たれづらかったりする。


いかにして議論をするか、さらには、いかにして議論したり声を上げる形を多様化させるかが、 個人が多様化した現在議論すべき大切なテーマなのではないかと思ったりします。


そして、そこで議論された価値を実現する主体としても、削られる財源の中で画一的な政策対応しかできない国家や自治体だけでない多様な価値提供が出来るプレーヤーが担える可能性も議論すべきなのかなと。それがNPOなのか株式会社なのかは分かんないけど。いずれにしても、権力の移譲という社会契約の側面には配慮しつつ議論すべきなんだろうとは思います。 




ここでようやくなんですけど、僕フェスをやって思ったことは、これだけ個人が多様化しただなんだって言ってる中で、まさに「僕らの武道館フェス」という名前のように「僕ら」っていう共通の主語を持てた場だったように感じていて、それはものすごく価値あることのように思いました。


だからって僕フェスを政治的な場にしたいみたいなことを考えているわけではなくて、何が言いたいかって言うと、選挙とか投票がすべてではなく、むしろもっと「僕ら」みたいな自分の意思が代表されている感覚がある状態であること、そういった状態を作ろうとする視点も重要なのではないかみたいなことです。


何か政治的な行動をした人に対して、選挙行けよみたいな声は必ずしも正しくないなとか思えてきたりしますね。


僕自身、なんか世の中に不安や不満があるときがあるけど、その反面、この感覚を共有できる人もそう多くないなみたいな感覚もある。そうなったら、身動き取れないやみたいな感じにもなりがちです。


でも、その状態でいい、その状態にとどまってたいって思ってないなら、声を上げて「僕ら」と言える人や場を作ろうと動いてみる方がましなのかもと思って何かを言い出したりする。


こんな感じでいい気がしてるんで、今後もこのスタイルでちびちびと前進出来たらいいな。


というわけ分かんない締め方ですが。終わります。


以上。笑



参考文献:『社会を変えるには』小熊英二


山本修太郎

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