僕たちは僕たちに「人間」と名前を付ける。とてもよくできている言葉だと思う。僕という存在は僕だけでは存在し得ない、僕と誰かの間に初めて僕は存在する。そんな感じだろうか。
僕が生きていることを実感するとき。
泣きそうになるとき。何かをどうしようもなく愛おしく思うとき。
心臓のある辺りがギュっとなる。
そんなときに確かに鼓動を感じるし、生まれてから今までの時間絶えず心臓が働き続けていたことを実感する。
そして、その時、必ず僕は僕一人のきっかけでそれを実感しているのではない。そこには誰かが確かにいる。誰かとの間で僕は感情を揺らして、生きていることを実感する。
当たり前に人と接していると、そのことが当たり前すぎて忘れそうになるけれど、楽しい時間が一生続くわけではないと気づく瞬間や、この幸せが奇跡的なことなんだと気づく瞬間、人との間で僕は生きていると気づく。一緒に楽しい時間を過ごした人、友人と別々の家に帰るとき、それまで近かった距離が離れていくとき、「間」が開いていくときに初めて、この「間」に自分が存在していたことに気づく。
今、人と人は「間」を開けるように要請されている。
こんな日々はいつまで続くのかと途方もなく感じるとき、大切なものの大切さに気付いた気がするのは僕だけだろうか。
大切な人を大切にしなきゃ、大切なことは大切にしなきゃ、大切なものは身近にあったんだ、と。
人間らしさ、人間にしかできないこと、そんなことがあるのかどうか分からないけれど、確かに僕は人との間で生きてる。あなたとの間で僕を生かしてくれている人、生かしてきてくれた人がたくさんいる。
そんなあなたに感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも誰かの間で生きていけるといいなと思うし、誰かが僕との間で生きてくれると嬉しいなと思う。
自宅に籠ってそんなことを悶々と考え、殴り書く夕刻。
引き続き、生きましょう。
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